ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #24
第二章 航過:12
「訓練訓練また訓練の毎日に、みんないいかげん倦み疲れたある日のことだったわ。
水平線の一点にインディアナポリス号の姿を最初に見つけたのは、海の上を行く教導艦じゃなかった。
ありがたいことにうちのメイントップ台員、シンクレアだったの」
「シンクレアさんは昔から高いところが好きだったんですね」
パットさんの切れのないボケには、まったく抑揚がなかった。
「・・・ま、まぁ!
今日もあの日とおなじね。
シンクレアの警戒観測は相変わらず超一流!」
いつも天然で明るいパットさんの落ち込みぶりに、気を使ったのだろう。
クララさんはニッコリ微笑んでみせたが、わざとらしかった。
「それでね、アンノウン視認時から空海互助戦闘の教則通りに教導艦へ接敵観測情報を出し続けたの。
アンノウンをインディアナポリス号と同定するところまでは順調だったわ。
だけど、インディアナポリス号がおまけ付きだってことが分かってそれを下に伝えた途端、緊張と興奮は一気に沸騰点。
インディアナポリス号はね、まぬけな海賊船というか自称私掠船を二隻も拿捕(だほ)して回航している途中だったのよ」
クララさんが遠くを見つめるような目をした。
視線の先にはわたしには想像もつかない過去の情景が写っていたに違いない。
「拿捕って、それはいったい何のことですか?
それに私掠船がいっしょだと、なんで教導艦がエキサイトしちゃうんですか?」
「アリーはまだ知らなかったかもしれないわね。
拿捕と言うのは敵対する勢力の船や艦を沈めたりせずに生け捕りにすることよ。
戦時なら通商破壊戦で敵の商船を捕まえたり、敵艦を降伏させて乗っ取ることは正規の任務になるわ。
平時においては違法行為を働いた船を停戦させて乗員を拘束、船を接収することが拿捕に当たるかしら。
インディアナポリス号はマストが折れてぼろぼろのブリガンディンを曳航して、その後ろにフォアマストを失ったスクーナーを引き連れていたの。
どっちもうちの海軍の退役艦で、今の第七音羽丸みたいなド派手な塗装を施していたから自称私掠船であることは一目瞭然だったわ。
乗員も大方退役軍人が中心だったんでしょうよ。
教導艦のおっさんやおばさんたちの知り合いも居たかもしれないってこと。
その上ご丁寧にもその二隻が海賊行為の戦利品として乗っ取ったと思しきシップがやはり二隻、後方から付いてくるのも確認できたの。
暫定統治機構の旗が翻っていたからね。
インディアナポリス号が救助したんでしょ」
「エーッ、それってホントに海賊が出て、インディアナポリス号に退治されちゃったことなんですか?
けちょんけちょんにされちゃった海賊船が退役艦で、おまけに退役軍人が乗り組んでいたってことなんですよね。
ひょっとして、うちの海軍はさっきクララさんが仰ってたように、今でも海賊の味方しちゃってるんですか。
それってまずくありません?」
わたしはその時クララさんのやや不快そうな口調にどうも引っ掛かりを感じたのだ。
どこの船だろうと誰が乗っていようとそれが海賊船なら、正義はインディアナポリス号にありと、わたしの幼稚な反抗心が首をもたげたのだ。
彼女の気持ちに思い至らず、今にして思えばわたしは黙ってればよい要らぬことを、わざわざ口にしてしまっていた。
「アリー!
てめえ敵の肩をもちやがるのか。
この国賊が!
そんでもって、お頭にあや付けようってか?
あっ?
売国奴のカスめ!
そのろくでもねえ口を慎みやがれ!」
『しまった。怯えてちょっぴり可愛くなっていたアキコさんに復活のきっかけ与えてしまった』
と、後悔のほぞを噛んだときには、どこかほっとした顔のアキコさんに、ぐわりと胸ぐらをつかまれていた。
「まあ、そういきり立つなアキ。
アリーも無邪気に痛いところを突いて来るね」
クララさんが苦笑しながらアキコさんをなだめて話を続けた。
「海賊行為は現在では当たり前に違法だし、摘発されれば重罪を科せられる。
もちろん自称私掠船の常軌を逸した振る舞いを、海軍委員会も都市連合政府も昔から公式には非難している。
艦隊に対してだって、以前と違って最近は任務として正式に連中の追討殲滅を命じているくらいよ。
都市連合としては戦争中だって古代の王様が出してた私掠船免状など発行していなかったのだから、“この世に私掠船などは存在しない”というのが変わらぬ公式見解ね。
暴れているのは私掠船ではなく、どこの馬の骨とも知れぬ海賊船だけだと事あるごとに言ってきたしね」
そういえば武装行儀見習いが受けなければならない座学のお教室でも、モンゴメリー副長がそんなことをおっしゃっていたかもしれない。
・・・ような気がする。
「だけどアリーも未だに海賊船が、変な話、跳梁跋扈しているなんてことは知らなかったよね。
都市の新聞も地方の瓦版もニュースにしないし、むしろニュースにしようと思わないみたいだからね。
一般市民は最近の海賊船のことなど知らないのが普通だと思う」
確かに村でも海賊の話題など耳にしたことがない。
昔は船乗りだったケイコばあちゃんですら、そんなことは一言だって口にしたことはなかった。
「情報の制御?
当局か、力のある誰かか。
それとも政治的何かが、事を白日の下に晒さぬように圧力をかけているのか?
いないのか?
どうなんだろう。
海軍でそれなりの時間を過ごしていると、娑婆じゃ耳に入らないダークなあれこれも聞こえてくるからこんな話ができるけどね。
あたしみたいな脳天気な女にとっちゃ心底胸糞悪い話よ。
けどね、あの戦争を知る世代の人達、特に家族や知り合いにジェノサイドの犠牲者がいる人達にとっては、話も違ってくる。
もしかしたら元老院暫定統治機構の地域や船に対する海賊船の執拗なまでに残酷で惨い仕打ちは、ちょっと溜飲のさがることなのかもしれないわね」
『それは海軍にまったく関心の無い一介の美少女に取っても、サラッと受け流せない衝撃の暗黒話ですぜ、ボス。
ほんとに?
人の恨み辛みって、そんなにもそんなにも執拗で悲しいものなの?』
わたしはクララさんのお話をにわかには信じることができなかった。
「要するに海賊船の情け容赦の無い畜生働きは、表向きには話題にならなくても、今だ戦争を引き摺った人達の苦しい心にとっては一服の清涼剤なんだよ。
遺恨を晴らす暗い喜びを妄想したり、持て余した怒りや嗜虐心を満たす為には恰好なイベントに成っちゃってるんだと思うよ。
『海軍は海賊の味方?』ってアリーがさっき聞いてたけどね。
ほとんどの海賊船は、払い下げられた海軍の退役艦が巡り巡って成り下がった船だっていうこと。
そんなのは海兵にとっては公然の秘密もいいとこだよ。
だからインディアナポリス号の拿捕した海賊船が、うちの退役艦だってのは初めから分かっていたことだったの」