垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~
第16話 あきれたガールズ爆誕 18
「公園でお過ごしのみなさぁ~ん。
皆さんが先ほど目撃された空飛ぶ未確認抱擁男女は目の錯覚ですよぉ~。
良くある白昼夢ですぅ~っ。
そこんとこよろしくぅ~」
「東京少年鑑別所の収容者や職員の皆さんごきげんよぉ~。
か・の・う・ま・ど・かはこの度、殺人未遂の疑いが晴れまして、突然ですが退所いたしましたぁ~。
か・の・う・ま・ど・かは無実でしたぁ~。
か・の・う・ま・ど・かの殺人未遂容疑は無かったことになりまぁ~す。
短い間でしたが、皆々様のご厚情に対しては当人に成り替わり、厚く御礼申し上げますぅ~」
大きなラウドスピーカーが付いたキャバレーの宣伝カーに、何人ものバニーガールが乗り込んでいる。
そうしてメッセージに心当たりのあるもの以外には全く意味不明なアナウンスが、可愛らしいアニメ声で何度も繰り返された。
宣伝カーが公園と練鑑の間を三往復する頃には、メッセージに心当たりの有る全ての人間が、唯一人の例外もなく洗脳された。
もちろん加納円とその愉快な仲間たちを除いての洗脳である。
円のサポートを受けた晶子の能力は身内以外には完璧な効果を及ぼした。
こうして少なくとも東京少年鑑別所においては、円の殺人未遂事件と脱走は法的にはともかく、実存的には意味のある出来事ではなくなった。
所長以下の職員たちにとって、円の失踪はまるで神隠しのようだった。
彼らは収監者が突然失踪すると言う、どうにも合理的な説明ができない不祥事の善後策に頭を痛めていた。
事実、晶子のアナウンスを聞くまでは、責任の所在を巡る詰り合いに終始するばかりだった。職員一同、現実的対処からは完全に腰が引けていたのだ。
本来ならば練鑑からは、法務省の上位組織や警察へ即座に通報すべき事案だったろう。
だが所長や職員らがぐずぐずしている内に晶子の洗脳の網が掛かってしまい、全てはうやむやになった。
こうして円は捜す者が誰もいない逃亡犯となった。
「美少女軍団に脱獄させてもらって、凶状持ちの上、更に重ねてお尋ね者に成ったご気分はいかがです?」
そのことにいち早く気付いた雪美が円のほっぺたに人差し指を当てて訊ねてくる。
彼女の面にパッと広がる楽し気な笑顔を見て円は少々複雑な心境だ。
雪美は円の帰還を喜ぶとともに、その困惑を面白がっているのだろう。
その程度のことは以心伝心レベルで円にも察しがつく。
雪美の動きに呼応して手を伸ばしたルーシーも、彼女と同時にこぼれるような笑顔を浮かべた。
それをルームミラーで確認した佐那子が「ズルいですよー」と頬を膨らませる。
新参者の晶子には怒った佐那子の解説を聞くまで、雪美とルーシーの振る舞いはさっぱり要領を得ないことだった。
しかし晶子にとっても、三人の年長者達が円を中心にして驚くほどのびのびと嬉しげなことだけは一目瞭然だった。
不思議な力が絆となった少女たちが抱く円への思慕は最初、晶子に取って理解の域を超えていた。
歳の割に理性的で大人びた晶子としては当然、普通の人間の良識が先行して意識された。
自分の心の中に兆し始めている円への想いを含めた全てが、気味悪くさえ思えたのだ。
けれどもいざ円に肩を抱かれて励ましの言葉を掛けられたその刹那、蒙(もう)が啓(ひら)いたかのようだった。
全身の細胞が自ら打ち震える程の喜びの波動を発したのだ。
晶子は理屈を超えた少女たちの思慕が本能的に理解できてしまった。
これがSF小説を読んで知ったコペルニクス的転回なのかと目の回る思いだった。
円は“自分を冤罪に陥れたふざけた女狐”の肩を抱けと雪美に命じられ、ルーシーには励ましの言葉を強要されたのだ。
気持ちも情も入っていないおざなりな労わりと言葉に過ぎない。
それにも関わらず、晶子は円にかまわれた。
ただそれだけのことで、蕩ける様な心地よさに身も心も満たされてしまう。
もう何年続いているのかも覚えていない不安も虚無感も、円の身体の温もりと耳ざわりの良い声音だけで雲散霧消した。
晶子の心は幸福の意味を思い出し、頭の中がクリヤーになったのだ。
晶子は自分が円の一部であり、同様に円も自分の一部であることを覚った。
今まで良く分からなかった三人娘が円へ寄せる思慕の意味を、天然自然の命として理解した。
最初に愛・愛情・情と言う暖かな思いが晶子の意識に浮かぶ。
次いで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌や恭・寛・信・敏・恵と言う言葉が脳裏に浮かんだ。
『・・・まるで八犬伝みたいだな』
晶子は数年前にNHKで放送していた人形劇のことを思い出す。
『バニーガールはウサギのコスチュームだし円さんはお姫様では無いけれど』
晶子はくすぐったそうな笑みを浮かべる。
いつの間にか手を繋いでいた雪美が「それは新しい解釈!」と目を丸くし、ルーシーが愛らしい声で「わん、わんっ!」と吠える。
こうした時にはいつも蚊帳の外な円と佐那子は、口をへの字に曲げていじけて見せる。
だがそれすら予定調和の一部だったろうか。