とも動物病院の日常と加納円の非日常
東京大空襲<転> 14
閑話休題。
スキッパーとしては田山シニアのこともあり、あらかた驚きの種は尽きていた。
けれどもレノックス少佐と田山ジュニアが顔を合わせるなり握手をして、すぐに打ち解けたことには複雑な思いを抱かざるを得なかった。
田山ジュニアは、少佐の左足に手早く副木をあてがってから肩を貸し、そのまま大八車に乗せた。
ふたりは終始和やかに会話を交わし、こともあろうに仕舞には互いをファーストネームで呼び出したのだった。
ふたりのやり取りから、田山ジュニアも父親と同じ道を目指していることがわかった。
現在は大学で医学の勉強をしていると知れた。
しかしである。
でもでもだってである。
いやしくもお互い血で血を洗う戦いで鎬を削る、憎き敵同士の間柄であるはずだ。
少佐がほんの数時間前まで何をやっていたか。田山ジュニアだって知らないはずはないだろう。
撃墜されたとは言え少佐の乗機は焼夷弾で、日本の市民をそれこそ無差別に焼き殺していたのだ。
少佐にしてもこれまで決して少なくはない人数の同僚を日本上空で失っていた。
先に降下した部下達だって、その安否はおろか生死すら分からないのだ。
ライフル銃片手に射殺しようと向かってくる田山ジュニアを、携行しているM1911でレノックス少佐が迎え撃つ。
各々が憎悪をぶつけ合う銃撃戦の果て、スキッパー様の助力を得た少佐が辛うじて勝利する。
だが少佐の銃も残弾が尽きはてて、やがて訪れる破滅からは逃れようもない。
ああ、遠くから敵兵を満載したトラックの地響きが聞こえてくる。
こんなシチュエーションがスキッパーの心密かに望んだ現実だった。
今この場でスキッパーが心から納得できる、アメリカ人と日本人の道徳的に正しい関係性だった。
それこそが、屈託のない笑顔で死んでいったあの若者たちため、スキッパーの闇黒な熱情が望む結末だった。
スキッパーはこのふたりの狎れ合いがどうにも理解し難かった。
いっそ怒りを覚えたと言っても良い。
こいつらはそれぞれがそれぞれの帰属集団に重大な裏切り行為を働いているのではないだろうか。
柄にもなくスキッパーは少しく了見の狭い愛国的義憤で頭に血が上った。
もちろんスキッパーはすぐさま自分がカニファミであることを思い出して我に返ったことだった。
それでも所詮はホモサピの事情と間髪入れず突き放すことはできなかった。
スキッパーは憎からず思うふたりの背徳者の行く末が、なんだか酷く心配になってしまったのだった。
田山家は木造の古びた二階家だった。
切妻のシンプルなデザインで、鎧戸の付いた格子窓やフロントポーチに既視感があった。
部分的にスキッパーの見慣れた西洋の造作が施されているのだ。
全体としては違和感満載の建物だし、あまり手入れもされていない様子だった。
この小ぶりな建物が医院として設計されている。
そのことは、フロントポーチから入る小さな待合室とドアの奥にある診察室でそれと知れた。
要所要所にアールデコを思わせる装飾的な細工が見られる。
それらは二十年ほど前なら、あるいはモダンと思えたかもしれない程ちゃちなフェイクだった。
スキッパーですら安ピカ物と感じるブラインズビルの郵便局が、文句なく立派な神殿に思える位に残念なパチ物だった。
始めて足を踏み入れる日本の家屋でスキッパーが驚いたことがある。
それは玄関から10インチほど上がった高さに屋内の床面があることだった。
どうやら日本人は靴を脱いでから屋内の床に上がるらしかった。
当然スキッパーは常時土足であり靴など履いてはいない。
スキッパーは軽くステップを踏んでそのまま床に上がった。
ためらい無く土足で床に上がったスキッパーを見て、田山ジュニアは軽くため息を吐く。
慈悲深いたちなのだろう。
彼は何も言わずにそっと目を逸らした。
スキッパーの審美眼から言えば、イングランドのカントリーハウスとは比べるまでもない。
スキッパーにとって田山医院の造作は、彼の地の納屋にも及ばぬ建物としか評価できなかった。
スキッパーは連合国のカニファミを代表して大日本帝国に侮蔑の念を表明する必要を感じた。
そこでわざとらしいクシャミを二度ほどしてから鼻を鳴らして見せたことだった。
一行を屋内で出迎える者はなく、田山家はシニアとジュニアの二人暮らしと察せられた。
診察室は黒い布をケープ状に被せた電灯の下、ひどく暗かったし暖房の入る気配も無かった。
少佐は診察台の上に横たわり、頭の下にはクッションをあてがわれた。