とも動物病院の日常と加納円の非日常
東京大空襲<転> 13
イングランドやアメリカで普通に見かけた自動車やバスにトラック。
更にはレノックス少佐が乗り回していたサイドカーにもエンジンが付いていたものだ。
ホモサピ自らが力を出して発動機役を務めるとは、日本とはなんとも奇妙な国だとスキッパーは思った。
大日本帝国という国は、いやしくもアメリカ合衆国相手に戦争を仕掛けることが出来る程の大国なのだろう?
なれば機械文明がひどく遅れていると言う訳ではあるまい。
そうすると当今の経済的余裕のなさが、市民をしてエンジン付き運搬機械を所有することを許さないのか。
少佐も愛用のサイドカーをいじりながら、道楽には金がかかると良くぼやいていたものだ。
少佐はガソリンやパーツを基地の整備部門の友人から融通してもらっていた。
だがそれらも、最後の頃にはあまり手に入らなくなった。
スキッパーもそのことでドライブの楽しみを奪われて、つまらなかったことを覚えている。
戦争と言うのは大層金のかかる事業らしかった。
食料品から燃料に至るまでありとあらゆる物資が軍でも民間でも恒常的に不足する。
それについては、スキッパーも経験的に良く知っていたのだ。
だから戦時の窮乏は日本でも同じことだろうと考えた。
スキッパーの考察は的外れなところもあった。
だが、大筋においては当たらずと言えども遠からずだったろうか。
戦前の日本は貧乏故に戦争を引き起こし、当てが外れてますます貧乏になった。
例えて言えば、大日本帝国は引き際を知る洗練されたギャンブラーではなかったということだ。
ちっぽけな成功体験で気ばかりが大きくなった場末の博打打ちと言うところだったか。
その博打打ちは根が小心だった。
融通が利かないくせに、妙に律儀なところもあってポーカーフェイスが不得意だった。
おまけに劣等感から来る空威張りで足元を見られることが多かった。
おだてられては相手のいかさまに踊らされることしきりで、いつだってぼられるばかりだった。
更に見方を変えて例えれば、大日本帝国と言う国家は世界と言う大都市の小さな裏店から出発した。
創業のご維新からこっち、しばらくは実直な先代が正直上等な小商いを営んで、結構堅実にやってきた。
腰が低い裏店の商人は朝から晩までこつこつと真面目に仕事を続けた。
ところが、やっとの思いで取引先からの信用も取り付けて、さあこれからという時にこけた。
ささやかな上げ調子に浮かれてしまったのだろう。
ついうっかり日露戦争などという大きな相場に手を出したのが間違いだった。
相場には勝ったつもりでいたのに、大通りに店を構える海千山千の大店にヒョイッと足元をすくわれた。
この日露戦争では、多少の利益が出るどころか最後にはスッカンピンになった。
それがケチのつき始めと言えばケチのつき始めだったろう。
先代が日露戦争でこうむった大損を取り戻そうと、顔色を変えて右往左往していた折も折のことだった。
丁度良いタイミングで第一次世界大戦と言う大店同士の投機合戦が始まった。
お店にとっては思ってもない好機だった。
大日本帝国はなけなしの信用を担保に小狡く立ち回り、そこそこの小金を稼いだ。
これはひとえに、地政学の神様が掛けてくれたお情け故のことだった。
ところが「ヤレヤレこれでどうやら一息つける」と肩を撫で下ろしたのも束の間のことだった。
ホッと一息つけたので、当代や番頭さんがさてこれからどうしたものかと思案する間もあらばこそだった。
頼みもしないのに奥からいきなり若旦那がしゃしゃり出てきて、何くれと商いに口を出すようになったのだ。
ガキの時分から散々甘やかされて、俺様な世間知らずに育った若旦那である。
当代や番頭さんの苦言には一切耳を貸さない。
程なく若旦那は、大商いを当て込んだ先物取引にのめり込んだ。
お店の乏しいリソースをアジア太平洋地域にぶっこんでは市場のひんしゅくを買う始末。
仕舞には、当代が下げたくない頭を下げ、口にしたくも無いお愛想を使って事態の収集を図った。
そこまでしても、汗水垂らして苦労しいしい築き上げた得意先への信用はすべてご破算とあい成った。
こうなると流石に気まずい若旦那かと思いきや、そんなことは全くない。
常人なれば反省のひとつでもして前非を悔いるところだが、そこは生来のろくでなしだった。
苦し紛れの逆切れで失意の当代を無理矢理隠居させて番頭さんの首まで切る始末。
挨拶回りも碌にできやしない若旦那あらためましての当代のこと、馬鹿は馬鹿のままだった。
またまた、満州事変などという益体もつかぬ相場に手を出した。
そうして要所要所に不義理を重ね信用を潰しまくった果ての果て。
肝心のお店は世間様から後ろ指をさされ、もうまともな商いなど夢のまた夢と相成り申した。
そこで心機一転。
ご迷惑をかけた皆様に、嘘でも良いから頭を下げる。
そんな振りができたなら。
腹の内で舌を出し、恐れ入りましたと畏まる。
そんな器量でもあったなら。
いつの日か、大店の仲間入りが叶ったかもしれない。
けれどもそんな絵面なぞ夢のまた夢。
ご存知当代はプライドばかり高くて見通しを立てられない役立たずのまま。
負けず嫌いの上、あいも変わらず夜郎自大な態度で踏ん反り返る。
駄々をこねて四方を呆れさせ、仕舞には捨て台詞を残して国際連盟と称する同業者組合からもおん出てしまう。
この当代どうにも懲りるということ知らない。
とすれば胸突き八丁の地獄坂を、まろび転がり落つるが渡る世間の道理と言うものだろう。
打つ手打つ手が裏目に出る。
しないでも良い大損を重ねたその挙句の果てには、破滅の一里塚が建っている。
つるんだゴロツキ仲間と老舗の商品に手を出したことが終わりの始まりだった。
相手は奸智に長け抜け目のない老舗のことだ。
その悪辣で情け容赦のない商いは、列強という排他的ギルドを何世紀も回して来た折り紙付きでもある。
アホ丸出しで騙されやすい、ぽっと出の当代なぞは老舗連にとって赤子の手をひねるが如しだったろう。
あれよあれよという間に手詰まりとなったお店は、暗夜行路を気取る間も無くこうして袋叩きの目にあっている。
1945年現在。
倒産寸前の大日本帝国と名乗るお店は、貧乏の尺度で言えば、ジリ貧どころかドカ貧となって久しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?