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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #200
第十三章 終幕:8
アキコさんの幻影が脳裏に浮かび、声が聞こえたと錯覚するまでてんぱったわたしだった。
失禁する程の恐怖心が喉元までせり上がり、全身の筋肉が小刻みに震え出した。
けれどもわたしは、あえて背筋を伸ばして顔を上げた。
そうして、あろうことか死刑執行人たるぼんくらチェスターに向かって微笑みかけさえしたのだから呆れてしまう。
我ながらドン引きだよ。
そんな民衆を導く自由の女神やゴダイヴァ夫人ならやらかしそうな高潔な振る舞いは、断じて常のわたしが演じる様なキャラではない。
今思えばその時の“わたし”は、常のわたしではない何か別のものに支配された“わたし”ではなかったかと思う。
なぜなら・・・ヨーステンに微笑んだ“わたし”は、こう思ったの。
『これでおばあさまから渡されたロケットの中身を使わずに済みそうね』
それはとても怖くて寂しいことだけれど、ちょっぴり肩の荷が下りた気がしたわ。
そう言えば、わたしはケイコ・マハン・ドレークのことを、それまでおばあさまだなんて上品な呼び名で考えたことは一度もなかった。
おかしなことね。
それに常のわたしであれば、あの時点でおばあさまを恨みこそすれ、思いやる気持ちなどとてもではないけれど持てるはずがなかったわ。
それは確かなこと。
そしてなんだか良く分からないけれど、常のわたしじゃない“わたし”は白装束だけには絶対捕まってはならない。
間近にまで迫ってきた白装束の鯉みたいな虚ろな目を見て、そう強く確信してしまったの。
ですからね。
ヨーステンの覚悟を察して、ほっとした部分があったのかもしれない。
白装束と死ぬまでチャンバラなんて、“わたし”にはとてもできない相談ですからね。
ましてや自決だなんて、いざそのことを突き詰めれば、“わたし”にやり通せるようなミッションではないわ。
そのことは良く分かっている。
“わたし”には自決することなんて到底無理そうだったけれど、ロケットの中身を使ったことを知ったらさすがのおばあさまも悲しむだろうな。
そんな風にも思ってしまったの。
あの局面で、ケイコばあちゃんをおばあさまと呼び変えて、あまつさえ彼女を思いやる“わたし”は、繰り返すけどやはり変。
それにね。
姉が亡くなった経緯を考えれば、ミズ・ロッシュがおばあさまに対しどういう行動に出るかは火を見るよりも明らかだったわ。
母と祖母が殺し合うだなんて“わたし”には耐えられない。
常のわたしだったらどうかしら。
『勝手にすれば』
きっとそう思ったはず。
けれどあの時の“わたし”にはそういう気持ちは浮かばなかった。
その代わりに“わたし”の胸は哀しみで引き裂かれそうになったの。
だからロケットの中身を使うことができそうにないと言う以上に、“わたし”自身の意志として、それを使ってはならないという気持ちが強かったわ。
やっぱり“わたし”は変だった。
人間なんて、自分自身のことすら、さっぱり分かっていやしないのね。
『あなたの義務を果たしなさい』
おののき絶望しながらも、自決できない以上ヨーステンに殺されることを黙って受け入れるしかない。
そんな他人事めいた諦観すら芽生えかけた“わたし”の心の奥底から、唐突にそんな声が聞こえた。
そのフレーズは何を意味していたのか。
“わたし”には瞬時に分かった。
あなたとはヨーステン。
あなたとは“わたし”。
ヨーステンは“わたし”を殺す義務を果たし、“わたし”はヨーステンに殺される義務を果たせ。
そう言うことだった。
常のわたしなら冗談じゃないと一蹴したろうに、その時の“わたし”はそれをそのまま口にしちゃってた。
「ヨーステン!
あなたの義務を果たしなさい!」
いったいこれは誰の声だ?
“わたし”は常のわたしには決して出せない凛とした声を張り上げて、目前のヨーステンにそう命じた。
あなたの義務とは“わたし”を殺す事。
“わたし”の義務とはあなたに殺される事。
そのことを伝える為に、“わたし”はヨーステンと真正面から向き合い偉そうに命令してのけたのだ。
常のわたしであれば、正気の沙汰とは思えないこんな振る舞いを、自分に許すわけがなかった。
“わたし”がこのまま白装束に捕まってしまったらロージナの未来に良くないことが起きるのは必定。
そんなロージナの禍根たるアリアズナ・ヒロセ・コバレフスカヤの命を絶つ義務を負うのはあなた。
己の業を受け止めて従容として死に赴く義務を担わされているのは“わたし”。
だけど、だけどね。
死ぬのはいやだな逃げ出したいな。
“わたし”の中にちょっぴり残っていた常のわたしの成分はそう思っていた。
『あなたの義務を果たしなさい』
“わたし”の本心を見透すようなその言葉には、変な魔力が込められていたに違いないよ。
仕方なく生をほとんど諦めていた“わたし”だった。
理不尽な死を受け入れるつもりにはなっていても、恐慌状態一歩手前で踏みとどまっていた“わたし”だった。
何かちっぽけな切っ掛けがありさえすれば容易に常のわたしに立ち戻り、泣き叫びながらヨーステンに命乞いをしたに違いない“わたし”だった。
『あなたの義務を果たしなさい』
この言葉を頭の中で聞くと同時に、それをそのままヨーステンに言い放った“わたし”。
そんな“わたし”は、ヨーステンに“わたし”を殺せと命じた直後。
いきなり恍惚として死を望む、まるで殉教者のようなモードに入っちまったのだ。
変な魔法が込められていたに違いないとはそう言うこと。
同時にこれはとても不思議な事なのだけれど、殉教者モードに入ったとたん、“わたし”の周辺で流れる時のスピードが極端に遅くなった。
そう感じられるように成ったのはどうしてだろう。
なんとなれば殉教者モードの<わたし>は、生を諦めて死を受け入れようとしていた“わたし”、ともまた別人格みたいな<わたし>だった。
常のわたしが短時間の内に“わたし”になりさらに<わたし>へとメタモルしたようだった。
時間の流れが遅くなったと感じたのは、“わたし”ではなく<わたし>だった。
ことによると、常のわたしを<わたし>までメタモルさせたのは、過剰分泌された脳内麻薬の仕業だったかもしれない。
今思いついた。
きっとそうに違いない。
わたしを締め上げていた恐怖心は、行きつくところまで行ってどん詰まったのだ。
その挙句の果て、大脳がエンドルフィンハイをチョイスして現実逃避をかまし、常のわたしはセルフトリップしちまった。
“わたし”を<わたし>にメタモルさせた声。
『あなたの義務を果たしなさい』
そんな心の声は、セルフトリップが引き起こした大たわけな幻聴だったのじゃなかろうか。