ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #188
第十二章 逢着:22
学内の者が熱く見守り、学外の者が歯噛みしたルーシー嬢とルートビッヒ少年の交際だった。
だが見ると聞くとは大違いと言うのは世の常である。
真実は一つどころか脳みその数だけあると言っても過言ではない。
ふたりにして、それが運命の差配する恋愛関係だったのかと問われれば、残念なことにそうではなかった。
ふたりの間にある事情は、恋愛とはまったく別のものとしか言いようがなかった。
ふたりの出会いは実のところ最悪であったのだが、それについては稿を改めねばなるまい。
とまれ、学生である内はジェンダーに於ける自分の立ち位置に拘らないつもりでいたルートビッヒ少年ではあった。
一方で、将来を見据え任官するまでは、一切の雑音を断って勉学に励もうと、己を律していたルーシー嬢だった。
思春期の少年少女が踏み込む症候群的通過儀礼からは距離を置きたい。
そう考えていたふたりの利害が、ピタリと一致したのは確かだった。
少女は少年を、少年は少女を、厄介な人情から遠ざかるためのカモフラージュとして利用できる。
互いをステディとして周知すれば、学生である間は無用で煩わしい色恋沙汰に巻き込まれずに済む。
そのことに気付いた時に、ふたりの奇妙な関係性は始まった。
皆が羨む少年と少女の間にあったのは、馴れ初めからして、思春期の純愛とはおよそ似ても似つかぬものだったことになる。
ふたりの“みかけ比翼連理の恋”は、功利的ながらも平等互恵な共助に対する同意から始まった。
考えて見れば何ともつまらない楽屋裏である。
ひょんなことから、互いの利用価値に気付いて始まった、打算の一言で片付けられるつきあいだったのだから是も非もない。
そうは言っても、日常的に共同で修羅場の処理に当たっているのだ。
ふたりの間には、それなりにツーマンセルな信頼も芽生えた。
共に修羅場を潜り抜けた信頼感が、いつしか互いに対する好意に至ったことは当然の成り行きだったろう。
物語的に惜しむらくは、ルートビッヒ少年がジェンダーについての少数派を自認する硬骨漢であったことだ。
そうでなければ皆の信じた誤答が、いつしか正答となっていたろう。
打算に始まり最後には恋に落ちるという学園ロマンスのテッパン沼が、ふたりを沼の奥底まで引きずり込んだに違いないのだ。
『縁は異なもの粋なもの』などと、古の人は上手いことを言った。
ルーシー嬢とルートビッヒ少年は、カモフラージュとは言え日がな一日共に過ごす学生生活を送っていた。
平穏無事を得る為のやむを得ぬ手段として、兵学校を舞台とした一幕一場の芝居を打っているはずだった。
そうだったはずなのだが、ふたりの間には特別な縁が芽生え、それがすくすくと成長した。
もちろん恋愛などと言う浮ついたものではなかった。
ふたりは、とかく移ろい易い男女の情誼を遥かに超えたところで、今に至る友情と言う名のこっ恥ずかしくも真摯な絆で固く結ばれることとなったのだ。
『いっちょやったれや!』のゲスなノリで矢をつがえる、あの性悪なキューピッドですら肩を竦めてかぶりを振る。
そんな少年と少女の、互いに誠を尽くす友誼だった。
それは青春と言う名の暑苦しいおせっかい焼きが、少しボタンを掛け違えたご愛敬の結果だった。
・・・かもしれない。
ルーシー嬢とルートビッヒ少年がワンツーフィニッシュで海軍兵学校を卒業した学生時代最後の年。
それはマリアが入学した年であり、さんにんが運命的出会いを果たした年だった。
何よりも、さんにんとミズ・ロッシュやドレーク提督の間に、生涯結して切ることのできないズブズブの関係が生まれた年だった。
なんとなればその年を境に、さんにんは私生活でも常に一つの単位として行動するようになったのではあった。
海軍に任官した後も、例え形の上では予備役となろうと、さんにんの軍籍は生涯保持されることになった。
いかなる事態が生じようとも、さんにんの所属は常に同一の配置になるよう定められた。
そして、いついかなる時もさんにんをユニットとして運用することが、海軍委員会の永年申し送り条項に定められた。
それは決して退役が許可されることの無い、究極の終身雇用であることを意味していた。
余談になるが後年、ルーシー嬢が軍令部総長、ルートビッヒ少年が軍令部次長を拝命した時も、マリアは海軍最専任兵曹長兼海軍委員会委員長として二人と共にあった。
彼女はスペンサー家当主としての財力と政治力を存分に使い、陰に陽に補佐を続けてふたりと生涯を共にした。
ピグレット号からの救援と合流すべく、プルタブ川右岸を疾駆?したスキッパーだった。
スキッパーは計画通り自分に課した任務を達成してのけた。
ブラウニング艦長とモンゴメリーの姉御に加えてマリア様まで顔を揃えた幹部三人組と、無事会合を果たすことができたのだ。
さんにんとの再会を果たすまでに、スキッパーは地元の傭兵らしきグループと何度かすれ違った。
彼ら彼女らは、以前マリア様に虐められていた意気地なし。
マゴイチと言ったか・・・そのマゴイチと同じ匂いがした。
サイカ衆の傭兵部隊、新選組が出張ってきていると言うことだろう。
ピグレット号からの救援隊が間直まで来ている証拠だった。
スキッパーは自分の目論見通りにことが進んでいることを確信した。
再開の感動に胸を熱くして半ば我を忘れても、スキッパーの五感は冷静に仕事を進めた。
久々に艦長たちの臭いを調べ、皮膚の味を吟味し、表情や筋肉の張りを点検した。
取りも直さず幹部三人組は心身ともに健康そうだった。
何よりのことだった。
さんにんとも若干の不安を香らせていたものの自信の匂いは力強く、ここまでの段取りを評価すれば相応の知恵も回っている様だった。
『これならアリーやダイの救出奪還も何とかいけるだろうよ』
スキッパーはすこしく安堵の思いに浸り、我知らずちぎれんばかりに尾を振ってしまうのだった。
「スキッパー!
良かった~!
あんたも無事だったのね。
よしよし」
「心配してたんだぞ!」
「後で入浴が必要ですわね。
少し臭いますわよ」
スキッパーはマリア様に耳の裏を掻かれて、ふと我に返った。
いつでも沈着冷静なはずの自分が、なんとも見苦しいさまを晒したことに愕然とした。
嬉しさのあまりあろうことか、反射的に仰向けとなって腹を見せ、さんにんにわしゃわしゃと撫でられ恍惚としてしまったのだ。
おまけにクンクン鳴きながら身体をくねらせ、内緒だが少し嬉ションまでちびってしまった。
誇り高き甲板犬として、意志の力ではどうにも制御できなかった自分の無様な振舞は屈辱的だった。
尻尾や身体や声門のしでかした失態は、理性が一時的に自律神経の支配下に置かれたものとして、取りあえずは気に病むことをやめた。
その上で冷徹が自慢の自意識を自閉モードに押し込め、スキッパーは今そこにある刹那的快楽に身を委ねることにしたのだった。
三人と一匹にとって再開を祝う至福の時が過ぎると、スキッパーは首から下がったお守り袋に両前足を添えて吠えながらジャンプした。
察しの良いモンゴメリーの姉御がスキッパーの滑稽な振舞の真意に気付き、直ぐにお守り袋を首輪から外すと中を改めた。
「ルート!
アリーから手紙だ」
さんにんはアリーレポートに素早く目を通すと、敵特殊戦部隊に捕まる直前まではアリアズナとディアナが無事だったことを神に感謝した。
そしておたっしゃクラブやサイカ衆の情報と、自分たちの分析におおよそ誤りが無かったことに安堵した。
これからの作戦行動に特別な変更が必要なさそうだったのは、会敵までの時間的余裕を考えると幸いなことだった。
状況の評価に関する話し合いが済むと、スキッパーはブラウニング艦長の事情聴取を受けることになった。