ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #48
第五章 秘密:1
わたしとディアナは午後直の七点鐘(午後三時三十分)が鳴る前に船へと戻って来た。
その後の展開は予想通りだった。
下甲板に降りるやいなや、わたしたちの帰りを待ち詫びていたお姉さま方に、身柄を確保されたのだった。
着替えはおろか、短かった休暇の余韻にひたる間もなかった。
わたしたちは、自分が根城にする右舷と左舷のアジトへと、それぞれ別々に引っ立てられた。
わたしは息つく暇もなく、瓦版記者達にまとわりつかれた、いつかの村長みたいな目にあった。
あの時瓦版記者達は、金属精錬会社の過剰接待を嗅ぎつけて、村長を吊るし上げたのだった。
記者達は、代わる代わる、手を変え品を変え、いつ果てるとも知れない詰問で村長を攻め立てたと聞く。
ディアナも左舷で、きっとわたしと同じ目に合っていることだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、わたしはのろのろと着替えを済ませた。
もちろん、怒涛のように押し寄せるあれやこれやの問いかけをさばき、厄介を引き起こしそうな話題をはぐらかしながらね。
綱渡りみたいなマルチタスクだったけれど、ことグリーンゲイブルズのアイスクリームに話が及ぶと、一転して喧騒が静まった。
甘味は安心安全な話題だった。
わたしはありったけの語彙力と表現力を駆使して、夢の国の氷菓や飲料について物語った。
狙い通り、陶然としたお姉さま方や同僚の溜息が辺りを満たした。
明日から始まる半舷上陸のシフトでは、左舷直と右舷直に分かれて一日おきにお休みとなる。
連日押し寄せるうちのクルーたちの大盤振る舞いで、グリーンゲイブルズの売り上げはグンと伸びることだろう。
売り上げ向上におけるわたしとディアナの貢献は大きいよ?
ディアナは左舷直なのでもう一緒にはお出かけできない。
けれども、右舷直第二班のみんなと町に繰り出して、もう一度アイスクリームを嗜むのも悪くなかった。
航海の間に貯まったお給金は、陸で貰っていたお小遣いに比べれば遥かに多いのだ。
それでも、お姉さま方が立てたお楽しみ企画を一緒になって満喫すればだな。
島に滞在している間に、有り金全部使い果たす公算大ではあった。
船に戻ったら、船長の所へすぐに出頭しろと命じられていたのは、幸いだった。
わたしはお姉さま方の厳しい尋問に十分お答えする時間が取れぬまま、右舷直第二班のアジトから逃れ出ることができたのだ。
インディアナポリス号の士官候補生との一件については、みんなには絶対秘密にしておきたかったからね。
うっかり喋ってしまったらどうしようと、気が気じゃなかったので心底ホッとした。
ヒロインに成り損ねた恨みはともかくとしてだよ。
相手の立場が立場だけにどう説明しようと、特大の爆裂弾が破裂したくらいのスキャンダルになっちゃう。
なによりも、わたし的にはロマンスもへったくれもあったものじゃなかったのだ。
となれば、ディアナの不義に金輪際関わりたくないというのが道理。
それが嘘偽らざる本音。
うっかり口が滑るまでもなく、海千山千のコイバナ大好き娘達が相手だもの。
不注意な一言や不自然な会話の間合いから、艶事の微かな香りでも嗅ぎ付けられようものならアウトだよ。
恫喝の刃で切り込まれ、晦渋の好餌に惑わされ、あっさり事が露見することなど大いにありそうなことだった。
一度口を割ってしまえば、異端審問もかくやという根掘り葉掘りの執拗な訊問に晒されて、とても持ち堪えられないだろう。
秘密を守り通す自信など、わたしにはない。
それならあっさりディアナを売り、聞かれたこと以上のネタをペラペラ白状して、お慈悲を願い出たとしたらどうだろう。
いやいや、お姉さま方を差し置いて、殿方と一緒にお茶した事実は変えられない。
それはどう言い訳しようと万死に値するに出過ぎた真似に違いなかろう。
ロマンスの件までバラしたら主犯のディアナは自業自得としても、わたしだって従犯か悪ければ 共謀共同正犯とされて許してなどもらえっこない。
お姉様達の折檻でズタボロになったわたしたちは、ふたりとも最終的にアキコさんの慰み者として下げ渡されることは必定。
そうなれば万事休すだ。
仕上げの相手はアキコさんだよ?
どんなにお慈悲を請おうとも、情け容赦なく心身共々存分に嬲(なぶ)られ甚振(いたぶ)られるだろう。
アキコさんを十二分に楽しませた挙句の果て、最後にはふたり揃って魚の干物みたいに、ヤードから逆さに吊るされるのが落ちだ。
『こちとら主役じゃないんだよ!』
だから身に降りかかる惨劇を、愛ゆえの試練とばかりに甘受なんかできやしない。
するつもりもない。
ましてや自己憐憫のお花畑に浸るなんてのもまっぴらごめんだった。
コンデンスな女の世界の話だ。
班の身内から話が漏れて、元老院暫定統治機構嫌いで鳴らす本職のお姉様に知れようものなら・・・。
それも因縁ありありのインディアナポリス号の士官候補生と仲良くなりましたなんて知られたら・・・。
洒落にもなりゃしねぇ。
最悪、敵とねんごろになった娘だなんて話を盛られて、ディアナとふたり雁首揃えて後々まで、陰に陽にとブリブリいじめぬかれる可能性だってあるのだ。
船長命令を笠に着てこの場を離れられるので、わたしは正直ほっとした思いだったさ。
さっきの皆の様子から、話の先は読めそうだったからさ。
うっかりボロを出さぬよう、対策を練る時間を確保出来そうなことも嬉しかった。
けれどもヤレヤレと胸を撫で下ろしたのも束の間だった。
ふとディアナのいる左舷の方を見やり、わたしの全身に戦慄が走った。
『あいつだっ!
ディアナだっ!
蟻の一穴だ!』
ディアナもわたしと同様、皆に囲まれてギリギリと油を搾るように今日の思い出。
いやさ、遂次の記憶を強制的に抽出されているようだった。
わたしがこの場を離れれば、右舷の連中も改めてディアナの周りに群がるだろう。
状況は悪化するに違いない。
『大丈夫かヒロイン?』
我が身可愛さあまり不安がつのった。
わたしには悲劇のヒロインと運命を共にする趣味はもとより無い。
全然無い。
「アリーちょっと待ちやがれ。
てめー何か隠してるだろー。
今、キョドッと目を揺らしたな。
他の誰かはいざ知らず、村じゃテメーのお守りにかけちゃ右に出るもののいなかった、このアキコ姉様の目を節穴と思うなよ!」
アキコさんったら、勘よすぎ。
へたすると、わたしがディアナを知る以上に、アキコさんはわたしの心身の裏表を知悉し掌握しつくしている。
両の掌を合わせて思わず拝んでしまいました。
「うわー、どうぞご勘弁を。
これから船長のところへご報告に上がらねばなりませぬー」
「アリー、アキちゃんのことはあたしにまかせなさい。
面白そうな話はあとでじっくり時間をかけてすみからすみまで余すところなく、それこそ骨の髄までしゃぶりつくしてあげるから」
わたしに飛びつこうとしたアキコさんに、いきなりスリーパーホールドを掛けたクララさんが、猫口でニヘラと笑った。
『ああ、これは滋味のある内緒話を、一つか二つでっち上げねばなるまいよ』
本気でそう思った。
パットさんやリンさんもコクコク頷きながら腰のあたりで小さく手を振っている。
背中にいやな汗が流れるのを感じつつ、慌てて昇降口へと向かいながら、それでも後ろ髪を引かれる思いでもう一度左舷を見た。
班長のサナコさんに引き据えられたディアナが、班員のみんなに取り囲まれておとぎの国体験記を語らされていた。
可愛らしい外出着のまま着替えもさせてもらっていない。
両舷直とも第二班は、一時間も経たないうちに第一折半直につくから、本格的な尋問は次の非番までお預けとなるだろう。
不意にテーブルの上で両手を揃えて正座しているディアナの怯えきった目がわたしに気付いた。
助けを求めるかのように潤んだ瞳からわたしは目を逸らした。
『ダイ、彼のことを一言でも漏らせばだな。
次の非番には寄ってたかって今日の楽しかった思い出や大事にしたい記憶までも、洗いざらいゲロさせられるぞ。
刻まれ、煮込まれ、味わいつくされ、後には一口だって美味しいところは残らないだろうよ。
もちろんお白州には、わたしも一緒に這いつくばることになるんだ。
それは勘弁だ。
絶対わたしを巻き込むな。
中央郵便局の大伽藍見聞記で圧倒しろ。
キャベンディッシュの街であんたが解説してくれた科学技術の驚異を語れ。
グリーンゲーブルズのめくるめくスイーツで煙に巻け。
いよいよとなれば、素敵なおじ様ポストマンを引き合いに出すことも許そう。
耐えろ、ダイ。
わたしたちの友情と未来のために!』
わたしは、さっきディアナを売り渡そうかと考えたことを、ひとまず棚に置いた。
そうして心の中で、悲痛とも形容できる自己保身とディアナへの憐憫がごちゃまぜになった叫び声を上げながら、踵を返した。
わたしはグイグイと引かれる後ろ髪をバッサリ断ち切って、逃げるようにその場を離れた。