ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #31
第三章 英雄:1
チェスター・アリガ・ヨーステン海佐は、後部甲板の定位置で大きなあくびをした後、半眼になりやがて目を閉じた。
水面に落とした絵の具の一滴がじわりと拡散するように、彼の意識も緩やかにほどけていった。
『ニンニクと黒コショウを大量に調達してください』
次の寄港地に着く前に、掌帆長を呼んでそうお願いしなけりゃならないな。
チェスターは、とろけるように眠気のさした頭でそう考えた。
官給の補給食料はいつでも公式の主計課細目を充分満たしていた。
しかし補給部隊から艦の糧秣庫に搬入されるまでの流通過程に、何か大きな問題がある。
そのことは誰の目にも明らかだった。
牛の枝肉が内臓肉の成形ブロックに化けたり、新鮮な野菜や果物が入っているはずのコンテナが、期限切れの缶詰の山に変身する。
そんな珍事の発生が、決してまれではなかったのだ。
言うまでもなく、どこかの誰かさんの不正行為が原因だった。
それについては改めて深く考えるまでもなかった。
自艦にまともな糧秣が補給されないのは困ったことだった。
しかし、一方でチェスターは、闇市に出回っている軍の補給物資が、良心的お値打ち価格で貧しい人々の腹を満たしている現実も知っていた。
彼はひもじかった自分の子供時代を引き合いにして、盗人の一分の利を消極的に納得している自分が、どうにもやりきれなかった。
チェスターは幼い頃に両親を亡くし、物心つく前に天涯孤独の身となった。
これはロージナでは極めて珍しいことだった。
そしてこれまた稀な事だったが、チェスターの二親にも彼らに連なる縁戚が生存していなかったのだ。
それは、幼いチェスターを養育してくれそうな血縁がいない。
アリガとヨーステンを姓に持つ近い親戚が、少なくとも元老院暫定統治機構内には現存しないと言うことを意味した。
チェスターは珍しくはあるが皆無ではない、そうした不運な子供を養育する施設。
いわゆる孤児院にひきとられることになった。
孤児院では表立った虐待こそなかった。
だが、古今東西の子供がすべからく必要とする心と体の安寧を、必要十分な量と質で与えられた訳でもなかった。
孤児院の同輩相互に生まれたお定まりとも言えるツツキの順位は、群れの動物である人間本来の在り方そのものだった。
痛い目にあわされ痛い目に合わせて、チェスターは人生の本質を学んでいった。
弱肉強食と言う無理が通り、仁愛という道理が引っ込む不条理を、日常における些細な咎(とが)程度にしか感じられないままチェスターは大人になった。
チェスターは物心が付く遥か以前から、正義と形容される人為に深い疑いを抱かざるを得ない環境下で生きてきたことになる。
少年チェスターは、困った現実がもたらす不利益を最小にする鉄則は、『三十六計逃げるに如かず』であることを当たり前に知った。
要するに、人様の善意などには夢ゆめ期待することなく、厄介ごとは神速で回避する。
それが少年チェスターの会得した人生訓だったのだ。
されば当然といえば当然だろう。
長じて人情の機微を知った後ですら、チェスターは他者の公徳心に対して、いささかの幻想も抱くことは無かった。
世間ではチェスターのような了見を人間不信と言うのかもしれない。
だが、信用も信頼もできない大人や同輩の間で生きてこざるを得なかった彼にとっては、ごく自然な処世術だったろう。
身過ぎ世過ぎという世間の焼き窯で炎にあぶられ、長ずるに従い彼の精神がどう窯変していったのかは、おそらく当人にも分からない。
チェスターは心身ともにペンチでねじ上げられるような子供時代を過ごした。
そうしてどっぷり人間不信に染まっていたのにも関わらず、不思議なことにチェスターの精神から品位が失われることはなかった。
チェスターの出自を知らない人間が初対面で彼に感じる印象は、ほぼ決まり切っていた。
人はチェスターに、どこぞのお坊ちゃんかと錯覚させる程に、おっとりとして穏かな品格だけを見いだした。
彼の出自を知らぬまま付き合いの長くなった者は、チェスターが孤児院育ちと知って皆一様に驚きを隠せないのが常だった。
チェスターは地頭の良さに助けられて、人並み以下の初等教育を受けながら、人並み以上の進路にも恵まれた。
孤児院の同輩たちが単純労働に就く職を選ぶ中、チェスターは軍人になる道を選び、幼年学校から兵学校へと歩を進めたのだ。
頭を使う、ただそれだけのことで大人から褒められ、みんなからも尊敬されるので勉強は好きだった。
体を動かすのは嫌いではなかったが、孤児院退院後の進路先として紹介される仕事は、頭より肉体を使う仕事が主だった。
体力には自信があったし、肉体労働は食べて行く分に不足は無さそうな仕事に思えた。
だが、チェスターが生まれ持った知性は、正直なところ、そうした人生に心底退屈しそうだった。
とは言うものの、自分の知性を充分満足させる職に就くためには、高等教育を受ける必要がありそうだった。
孤児であるチェスターに働かずに学校に通うお金があろうはずもなく、自活しつつ学費をあがなうことは難しそうだった。
洋の東西今昔を問わず、向学心と能力のある貧しい子供が勉強するためには、軍人になる道が用意されている。
有能だが失うものを多く持たない子供を、兵器の構成要素として、国家が一から都合よく鍛え上げることができるのだ。
何かと口数の多い納税者の子弟を徴募して危険に晒すことに比べればである。
自ら志願して国家に我と我が身を売り渡す子供は、低リスクで安い買い物だろう。
チェスターは己が知性の求める欲求を満たすため、国家に自分を売り込む道を選んだ。
幼年学校から兵学校を通じチェスターは公費で勉学に励み、手に入れようと渇望していた知識と教養をどん欲に身に付けた。
行きがかり上、軍学校生徒の本文である兵学にも真面目に取り組んだ。
だが、チェスターの興味と熱意はもっぱら一般教養に当たる教科や軍事以外の学科に注がれた。
いわく専門馬鹿は伸びしろがないという説は、少なくともチェスターについては当を得ていた。
在学中、多様な学問に触手を広げたチェスターは、意識せずに学際的な視点で問題解決に臨めるスペックを身に付けた。
結果として成績表の評価は常に高く、同期の間では終始秀才の名を欲しいままにした。
兵学校をクラスヘッドで卒業した青年チェスターは、ハンモックナンバーが若い秀才としては珍しく、現場で帳尻を合わせることが上手な軍人となった。
チェスターはその人柄もあり、人間関係でも恵まれた学校生活を送ることができた。
おかげで軍人を志してからチェスターの精神衛生は、孤児院の頃に比べ格段に向上した。
人間不信は初めから明確に意識していたわけではなかった。
学生時代に互いを認め合える仲間を得たことで、人間不信が払しょくできたかどうかは、ついに当人にも分からずじまいだった。
それでも子供時代からの苦労を忘れることはなかったし、人生訓『三十六計逃げるに如かず』はチェスターの生き方を強く規定し続けた。
『厄介ごとをうまく回避できれば逃げ出す手間を省けるにちがいない』
育ちに似合わず、ものぐさなチェスターではあった。
そんな、ものぐさチェスターが規則という道理が通る学校で、理不尽な無理を退ける知恵と力を会得することができたのは幸いだった。
そうして学生時代に心身を守る術を身に付けると、しまいには逃げると言う処世がどうにも面倒になっていったのはいかにもチェスターらしい。
チェスターは任官後、“現場での上手な帳尻合わせ”が、厄介ごとを回避するための基本の基であることも学んだ。
そこで逃げると言う手間が省けると踏めば、この“帳尻合わせ”と言うお手軽な方法を愛用することにしたのだった。
チェスターと言う人間を俯瞰してみれば、先を見通した奥深い戦略的思考を編むにはまったく不向きな人間だったと言えるだろう。
もし彼が上官や部下からすれば、深謀遠慮の末に辿り着いたようにしか思えない結果を出したとしてもだ。
おそらくそれは、目の前の問題を解決するためにでっちあげた、
“その場しのぎの一番お手軽で場当たり的な方便=帳尻合わせ”、
による結果にすぎなかったろう。
チェスターが上官や部下から有能と評価される誰も知らない内実は、言ってみればそういうことだった。