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垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~
第7話 運命は少年に無慈悲だった 19
「ちょろいなって。
どういうことですか?」
円は自分の顔面から、血の気がザァーッと引いて行く音を、その耳で確かに聞いた。
「わたくしは自分のしてしまったことが恥ずかしくて。
加納君にどうお詫びしたらよいのかも分からなくて。
ずっと。
何日もずっと。
この辺りが苦しかったのです」
雪美は目を伏せて胸に手を置く。
「あなたにはとても悪いことをした。
わたくしのその気持ちは今でも変わりません。
ですが、ちょろいなって。
それ、なんですか・・・」
蒼ざめ凍り付いたように立ち竦む円の頬に、今度は全く躊躇いのない雪美の指が触れる。
「・・・なるほどそう言う事ですか」
雪美は今まで円には一度も見せたことのない、明るく屈託のない笑顔をほころばせる。
青空の元で映える大輪の花のように眩しい満面のニッコリだ。
「わたくしのやってしまったことはとても許されることではない。
マドカ君には絶対に許してもらえない。
今の今までそう思っていました。
だけどあなたがわたくしをすごく信頼してくれていて『なんでもないことだよ』って思っているのが分かってとても嬉しい」
瞬く間、だったろう。
円の唇に雪美のそれが軽く触れた。
「けれども。
ミッション小金井。
・・・わたくしはそれをとやかく言うつもりはないわ。
マドカ君も思春期の男の子なのだし、セックスに興味深々と言うのもふけつだけど理解できる」
顔から血の気が引いた状態でいきなり心拍数が上がった。
自律神経の失調を来たしたのか、めまいと吐き気までしてくる。
「でもね。
マドカ君が見たくてしょうがない映画は成人映画。
高校生が見ることは法が禁じているわ。
それは分かっていますか?」
円は壊れたくるみ割り人形の様に顎と頭をかくかくさせる。
双葉の薫陶は円の全身の隅々まで良く行き渡っている。
力のある女性から決めつけられる正論に円は逆らえない。
それはほぼ脊髄反射のレベルで焼き付いた習い性だ。
その証拠に『ことが露見した以上ロマンポルノは高校卒業までお預けか』と嘆息する円ではある。
雪美に覚られたことをアクシデントとして現実から切り分けられないのが円と言う弟キャラだった。
切望してやまないにっかつロマンポルノである。
キネジュンを精読して妄想を膨らませた最左翼の映像表現がそこにある。
だがしかし、である。
黙って見に行くとか。
嘘をついて見に行くとか。
密かに見に行くとか。
そうした選択肢を円の羅針盤が指し示すことはない。
真に双葉による調教のたまものと言える。
「殊勝な心掛けね。
はぁ。
申し訳なくて悲しくて苦しくて嫌われたくなくて。
睡眠不足にまでなったわたくしの数日間はなんのためだったのかしら・・・。
あなたのことを「この上なく最低って!」なじりたい気分だわ」
「上にはない底とは、これしたり!」
円は額を叩いて反射的に雪美のボヤキを混ぜっ返す。
すると彼女は今まで見たことのない位に底意地の悪い笑みを浮かべる。
「あなたもしかしたら、わたくしがまだ生娘だなんて本気で信じてるのかしら?
あなたが秋吉久美子さんのファンなら、生娘をバージンと言い換えてもよろしくてよ?」
全く予期しない、想定を遥か数光年もずらす反撃だった。
言うに言われぬショックが電撃の様に円の身体を走り抜ける。
次いで重くて硬いものが、胃の辺りからせり上がってくるような気がした。
「わたくしは素直な女ではありません。
それでもわたくしは、自分からキスできるほどあなたのことが好きよ?
あなたがわたくしを好ましく思う気持ちの何十倍。
いいえ何千倍も。
あら。
もしかすると今のはファーストキスだったのかしら。
もしそうなのだとしたらご馳走様」
完敗だった。
雪美は土気色の顔をした円を引き連れて教室に戻る。
すると折よく、これから部室に向かおうとしているのか、スポーツバックを手にした荒畑と目が合った。
「荒畑君。
マドカ君のことでちょっとお話があるの」
円の顔色を見て全てを察した荒畑は、早々に両手を上げ雪美に恭順の意を示した。