ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #37
第三章 英雄:7
チェスターを見つけたレベッカの目は、なるほど確かだった。
チェスターは海軍史上最年少でフリゲート艦の艦長となった。
それも結果を出して当然と誰しもが考えるインディアナポリス号艦長の座を射止めたのだ。
この人事に関してレベッカの父親は格別の働きをしていない。
チェスターの昇進は、最早姑息な情実を必要としない程までに、艦隊や軍令部の支持を集めていたということだった。
艦隊配置についてからのチェスターは、連戦連勝の負け知らずだった。
かてて加えて、拿捕した敵艦の価値や捕虜の身代金で決まる獲得報奨金の額も歴代一位を更新中という凄腕だった。
肩入れしているレベッカの父親も鼻が高いと言うものだった。
艦隊のスター街道を驀進中のチェスターを遠望するかつてのクラスメートも、レベッカの青田刈りに感心しきりだったことは言うまでもない。
かつて任官一年目だったチェスターの人事に介入し、無茶な横車も押して海軍部内にずいぶんと借りを作ったレベッカの父親ではあった。
しかし“婿殿”の快進撃により、彼の政治的出納は予想だにしなかった大幅な黒字となった。
チェスターへの肩入れについて、閨閥に捕らわれない真摯な眼力の持ち主。
そう持ち上げられた時には、世辞半分と思っても損得抜きで誇らしげな気持ちになったものだ。
チェスターの活躍を耳にするにつけ、自分にもまだ残っていた青雲の志などという青臭い気分への憧憬にも思い至り、心の奥底で驚き赤面もした。
ただチェスター推しのきっかけは、自分の眼力と言うよりはレベッカの脅迫にあった訳で、それ自体は決して誇れたものではない。
関係各位からの称賛を受ける度、見識のある高官ではなく娘の言いなりになった情けない父親という意識が先に立ち、どうにも尻の治まり具合が悪いのが閉口ではあった。
「右舷後方上空、フィールド上にアンノウン!
接近します。
現状で本艦の進路と交差!」
「アンノウンとの会敵予想時刻不明!」
ミズントップ台で警戒観測に当たっていたジェームズ・ルトル・ヨナイ兵曹から緊急報告が入り、甲板に緊張が走った。
チェスターは艦尾を振り返り目を細めたが、肉眼でははっきりとした視認はまだできなかった。
「艦種もしくは船種の識別を優先しろ!」
レベッカがメガホンを手にトップ台に向け叫んだ。
「アイアイ、マム」
「距離約一万五千メートル。
アンノウンの進路変更なし」
「会敵予想時刻出ました。
進路交差までおおよそ四十五分!」
ヨナイ兵曹とペアを組んで補佐に当たる警戒観測員は、分担しているそれぞれの職分に従った報告を寄せた。
チェスターが準戦闘待機の命令を下すと号笛が何度も響き渡った。
やがて慌てて甲板に上がってきたウイリアム・ヨーゲルソン・タイラ航海長が制服のボタンを留めながらチェスターに敬礼し、当直の航海士からメモを受け取った。
非番の士官や下士官兵達がワラワラと現れて息せき切ってそれぞれの持ち場につくと、インディアナポリス号は自然に準戦闘待機の態勢となった。
命令一過、全艦一丸での素早い対応は、バイロン副長主導による月月火水木金金と揶揄される日頃の厳しい訓練の賜物だった。
「進路は現状維持だな。
スターキー、舵はそのままタラタラと」
チェスターは操舵手に声をかけるとバイロン副長を横目で見た。
「ベッキーはどう思う?」
レベッカはメガホンを双眼鏡に持ちかえていたが、目に当てず手に持ったままアンノウンの方を見つめていた。
「十中八九、民間の船でしょう。
同じ目的地、おそらくプリンス・エドワード島に向かって航走中に偶然交差経路をとった。
ただそれだけのことと思います。
しかし、よい機会です。
対空戦闘の訓練に少し付き合ってもらいましょう」
レベッカはニヤリと片頬をゆがめた。
「ご存分に」
チェスターは満足げに頷くとあくびをしながら大きく伸びをした。
「総員対空戦闘用意。
但しこれは訓練である。
繰り返す。
これは訓練である。
かかれ!」
バイロン副長の凛とした命令が甲板を走った。すると俄かに辺りは活気づき、命令が各所に伝達されていった。
再び号笛が響きやがて太鼓が連打された。
通常は非戦闘配置の兵員も下甲板から現れ実戦配置に走った。
上甲板の砲手たちは砲の仰角を上げ照準と装弾の準備を始めた。
操帆要員たちも急な進路変更に備えてブレースに取りつき、一部は素早くシュラウドをよじ登っていった。
実戦本番であれば甲板上の可燃物は海上投棄され、すべり止めの砂がそこかしこに撒かれるところだった。
今回は訓練だったので対応要員がパントマイムよろしく、訓練用に決められた動作でそうした作業過程の確認を続けていった。
やがて各配置、各部署で準備の完了を伝える報告が上がり、対空戦闘の体制が整った。
「対空戦闘用意、完了しました」
レベッカが静かな声でチェスターに報告した。いつの間にやら、連打されていた太鼓の音が止み、甲板には奇妙な静けさが訪れていた。
帆を打つ風は同時に、戦闘の準備で汗をかいた水兵達の熱気を優しく冷ましていった。
「アンノウンは民間船。
都市連合のスイーパー船です。
信号旗上がりました。
所属は音羽村」
「距離一万メートル。
進路交差まで三十分」
ミズントップ台からの詳報が入ると、コアスタッフの間近で信号担当の当直についていたタケオ・アンダーソン・カナリス士官候補生が分厚い艦籍船籍要覧を素早く調べあげた。
カナリス士官候補生は、細面の少年に有りがちな少し甲高い声で更に詳しい情報を報告した。
「音羽村のスイーパー船は現在一隻だけです。
第七音羽丸、都市連合海軍の退役艦。
現役時の艦名はピグレット号。
クリストファー・ロビン級。
二本マストスループ航空艦。
五キログラム砲十二門搭載。
現役最後の艦長はルートビッヒ・マオ・ブラウニング海佐。
なお現在の船長も同名です」
チェスターはちょっと目を見開き驚くそぶりを見せた。
「いやー、びっくり。
あっちも当然こっちのこと分かっちゃってるよね」
「船長が変わっていないのであれば、乗員の大幅な入れ替えも無い可能性が高いでしょう。
であるならば、あまたあるフリゲート艦の中でもインディアナポリス号だけは見間違えることはないでしょう。
ミスター・カナリス!
要覧をこちらへ」
レベッカが後方に目を向けると、まだ本当に少年という言葉がそのまま当てはまるほどに初々しい様子をした士官候補生が、「アイアイマム!」と元気よく答えた。
彼は背筋を伸ばすとなぜか顔を赤くして大切な宝物を手渡すように、しかしきびきびとした態度でレベッカに要覧を差し出した。