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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #20

第二章 航過:8

「現艦長の通称ぼんくらチェスターは、確か十代目の艦長ね。

若い頃から、といってもまだ二十代のはずだけれど、とにかく兵学校時代から穏やかで茫洋とした人柄で有名だったらしいわ。

ただし兵学校は主席で卒業。

士官として、特に現場指揮と戦術策定については天才的才能に恵まれているとの噂よ。

いつも眠そうで『めんどうくさい』と『まぁいいか』が口癖だそうよ。

本当に普段はみてくれもパッとしない、青年と言うよりはおっさんみたいな人らしいわ」

まだ二十代なのにおっさんだとか、会ったこともない人なのにぼんくら呼ばわりとか、散々な言われようだった。

だけどそうしてインディアナポリス号の艦長のことをくさしながらも、これっぽっちもぼんくらなどとは思っていなさそうなクララさんが『むっ』と形の良い唇を引き結んだ。

「それではなぜ、ぼんくらなどというその人間の人となりを貶めるようなあだ名が付いたのでしょう。

見た目は兎も角、元老院暫定統治機構の戦後シンボルといっても過言ではない軍艦の艦長を命じられる位ですから、能力的にも人格的にも折り紙つきなのでしょうに。

剃刀とか切れ者とか、もっと彼のスペックに相応しい二つ名がついてしかるべきだと思うのですが。

わたくしには今一つ解しかねるお話です」

ついうっかりなんだろうな。

アキコさんはインディアナポリス号にひたと視線を定めたまま、心ここにあらずという様子で、なぜかディアナのように頬をうっすらと赤く染めていた。

こいつ・・・もしやオヤジ萌えか?

今そこで淑やかに佇むのは、わたしが良く知る、里に居た頃の本来のアキちゃんらしい知的でもの静かなアキコさんだった。

武装行儀見習いの奉公に上がってゲシュタルト崩壊を起こしたアキコさんとは、まるで別人のように上品なご令嬢風の甘いベルベットボイスが、みんなの鼓膜を優しくくすぐったのだった。

これぞ驚愕と言う言葉が相応しいだろう。

わたしもリンさんもパットさんも、“突然のアキコさん”にびっくりしてしまい、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしていたに違いない。

クララさんはそんなアキちゃんみたいなアキコさんをどうしてだろう。

まったく怪しむ風もなく普通な感じで、けれど至極面倒くさそうなうんざり顔で見やった。

「見た目や言動とやり遂げる仕事の出来具合に、あまりにギャップがあり過ぎるので付けられた、半ば反語的なあだ名らしいわ。

まあ、ぼんくらチェスターがぼんくらじゃないことだけは、これは絶対確かだよ。

あたしを含めてうちの古手の連中は、スキッパーだってそのことを身を持って思い知らされたからね」

スキッパーがうめくような唸り声を上げてクララさんの言に激しく同意した。

 もしやお姉様方やスキッパーが、身をもって思い知らされたと言う”何事か”こそ、クララさんが続けてる長話の本題なの?

クララさんは艶やかな唇を今一度引き結ぶと口をつぐんでしまった。

アキコさんもそれ以上の質問をすることはなく、生真面目アキちゃんバージョンの真意も皆目分からずにその場は再び沈黙に包まれた。

ぼんくらチェスターが持つキャラの何かが、成り切りアキコさんの心の琴線に触れたのだろう。

そも、乙女心というものは傍迷惑な謎と意外性で構築されているものなのだ。


 最終的な落としどころがよく分からないクララさんの歴史談話が続く内、インディアナポリス号は左舷前方を並走する僚艦みたいな位置に迫っていた。

実際には第七音羽丸が追い抜こうとしていたのだが、甲板上の人間の動きがはっきりと見えるほどの距離になったとき、艦尾に数枚の信号旗がするすると上がるのが眼に入った。

「インディアナポリスに信号旗。-貴船の航空の無事を祈る-」

後部甲板にいる航海士兼務のお姉さまの声が響く。

確か、歌の上手なキャサリンさんだ。

「答礼!

船底から旗流せ。

-貴艦の武運長久を祈る-」

モンゴメリー副長がちょっと低めだけれどもよく通る声で命令を発した。

ブラウニング船長が何か言いかけて口を開いたが、なぜかそのまま黙り込んだ。

副長は船長の方をちらりとも見ずに、まるで自らが船長であるかのように命令を下した。

 航空船から航海船への通信は、フィールド下の船底にあるハッチからロープに信号旗を結び付けて流したり、信号弾を発射することでおこなう。

複雑な情報をやり取りするときは発光信号器の点滅で行う。

.文章を古代から伝わるモールス信号に変換して長短の発光で表現するのだ。

昼間、お天気が良い日には、信号手が両手に旗を持ってメッセージを伝える手旗信号がお手軽だ。

ミリオタで兵学校を志望している幼馴染、ディアナがモールス信号と手旗信号、両方ともに営為勉強中だ。

はた迷惑なことに右舷左舷とも第二班は当直のスケジュールが同じなので、わたしは非直の時ディアナにせがまれて、実習と称した信号の読み取り練習に付き合わされている。

門前の小僧習わぬ経を憶え、なんて言うでしょ?

手旗信号については不熱心なわたしの方が、ディアナよりだんぜん上手かも知れないよ。

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