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表現者として在り続けること

こんにちは!笹内俊佑といいます。湘南に住みながら都内のコンサルティング会社で働いたり、個人の方向けにコーチングをしたり、サーフィンをしたり、絵を描きたいなーと思ったりして生きています。

昨年から自分の人生のビジョン(人生の目的に近い)が明確に描けるようになり、それに沿って生きていこう!と色々行動していました。


そのビジョンがアップデートされたので、それを残そうとこのnoteを書いています。


森に見たありのままの美しさ


2023年、当面は「表現者として在り続ける」をテーマにして生きていこうと思っています。

元々、「アーティストのように生きる」が人生のビジョンだったんですが、「表現者」の方がしっくりきたのでそうしています。

※個人で持つビジョンは自分にとってしっくりくることが一番なので、他の人にとっては説明無しだとわかりにくかったり、理解されにくいことがあるかもしれません。

表現者とはなんなのか。文字通り自分の内面を外に表現していく人だと今は捉えています。

それは、自分の綺麗な面だけでなく、そうではない面もありのまま表現していくことも意味しています。

先日、森のリトリートに参加し、色々な表情を持つ森と出会いました。

その中でも印象に残ったのは、枯れている(この表現が正しいのかわかりませんが)木々たちでした。


冬なので当然といえば当然なのですが、青々として緑に溢れた感じではなく、葉も無く、暗い寂しい感じにも見えます。


ただ僕はこの木々たちを見て、とても美しいな、凛として在り続けているなと感じました。


自分の綺麗な姿はもっと他にあるかもしれない。今の自分がベストではないかもしれない。そんな状態であろうと、ありのままの姿で凛と居続けるたくましさを感じました。

そしてこんな風に生きていきたいな。とも思いました。


自分のベストだけではない部分も大切にする。という生き方は大切にしてきましたが、それを外に表現していきたい。ということを改めて思っています。


自分にとって、表現者で在り続けることとは


「居心地の悪さとともに居続けること」かなと今は思っています。


自分の内面を表現するのは難しいです。自分を表現するとき、いつもこんな気持ちになります。


相手に上手く伝えるのが難しい。


もっと伝えたいことがあるのにもどかしい。

自分のスキルが足りないのか稚拙な表現になってしまう。

なんだか表現することでチープになってしまってないか。

表現しない方が美しいまま自分の中にとどめておけるのではないか。


表現したいものや伝えたいものが、素敵な、大切なことであればあるほど、この葛藤は強くなります。


そんな居心地の悪さと、もどかしさと共に居続けることが表現者として在り続ける一つの在り方なんだろうなと思いました。


でも、その葛藤を感じながらも世界に対して、社会に対して、目の前の相手に対して自分を表現したい。


表現すればするほど、自分の拙さや粗みたいなものが見える感覚もあるけど、それもありのまま伝えることをしたい。森で見たあの木々のように。

そして日常の仕事も自分を表現する一つの手段です。


目の前の一つ一つの事象に自分の想いを乗っけるように仕事をしていきたいですね。


そしてこのnoteを使って言葉でも表現したいですが、言葉以外の手段でも自分を表現したい。そんなことを思っているので、今はアートにアンテナが立っています!(絵は苦手です)


もっと書きたいことや書くべきことはあるのかもしれないけど、一旦これでおしまいです!2023年、どんな一年になるのか、想像もつかないので楽しみです。


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