文章に希望を込める
先日、久しぶりに本屋に立ち寄った。
必要だった本はすぐに見つかり、あとは少しの時間、棚の本を眺めてぶらぶらしていた。
「あ、燃え殻さんの本だ」
「すべて忘れてしまうから(扶桑社)」
前作の「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んでいたので、ふと手にとって見た。パラパラと前書きをめくる。
大槻ケンヂさんとのやりとりが書かれていた。
大槻ケンヂさんと話す機会があり、大槻ケンヂさんの「リンダリンダラバーソール」にどれだけ救われてきたか、登場人物「コマコ」とのある場面でのやり取りにどれだけ涙したかを熱く伝えた。すると大槻ケンヂさんは少しうつむいて「あー、それは全部なかったかもなぁ」と照れくさそうにへへっと笑った。その後まっすぐこちらを見て言った。
「あそこはね、僕の希望なの。で、燃え殻くんの小説の中の希望はどこ?」
と。
このやりとりが素敵で、なんだか少し心が軽く、救われたような気がした。すべての文章が、ではないかもしれないけども、小説や文章には人生の、そして作者の希望が込められてるんだ。そして自分も希望を文章に込めていけばいいんだ、と。
そんなに対した希望じゃなくてもいい。こうあったらいいな、こうであって欲しいなってそんな些細な希望でもいいはずだ。
気がついたら、この本をもってレジに並んでいた。