薪を焚べてたら30代に突入したので「別れ」の20代を振り返るよ
1990年10月18日生まれのわたくし、昨日で30歳になりました。
10代から20代に突入した瞬間は、深夜に岐阜をドライブ中に日付が変わって、目の前に見えた自販機で友人が「おめでとー!」とコーラをおごってくれました。どうでもいいけど、いまストリートビュー見てたらその自販機が現存しててちょっとびっくりした。
で、20代から30代を迎えた瞬間は、薪を焚べておりました。奈良の山奥にあるキャンプ場でやおら10カウントがはじまり、賑々しく友人たちと迎えることができたのは嬉しく、これもまた忘れられない思い出になりました。あー、もう20代って言えないんだなーと、ぼうぼうと燃え盛る火を眼前にしてしゃべっていました。
ところで薪を焚べながら話してたんですが、20代は「別れの10年」だったと振り返って思っています。
20代がはじまって2ヶ月でいとこを突然亡くし、大学の卒業判定が出た日には父方の祖母の葬儀があり、4年前にいたっては母方の祖母を亡くした半年後に父親まで亡くなりました。父方の祖父は生まれる10年以上前に、母方の祖父は高校生のときに亡くなっているので、もう僕には「祖父母」という存在がいません。それどころか父親という存在もいなくなった20代でした。
知人友人の訃報というものもあります。SNSで突然「亡くなりました」と家族が代理投稿していて衝撃を受けたのも珍しくなく、しかも今日も食卓で、同級生のお母さんが昨年の末に亡くなっていたという話を聞かされました。こういう話が、今後もう数え切れないくらいにたくさん耳に入るんだろうなあと思いながら味噌汁をすすっていました。
大学卒業、岐阜から京都へ転居するタイミング、教職課程修了、最初に着任した職場を退職したとき、などなど、2年に1回くらい人間関係がリセットされた瞬間もありました。在学中散々空き時間を共有していた友人もぱたっと会わなくなったし、最初の職場の方々もあれだけ毎日のようにやり取りしていたのに、いまほとんど連絡をとっていません。まあ便りがないのがいいことだ、みたいな感じではありますが、それでだいぶ交友関係が整理されているところも同時にあります。
たしかにそのぶん出会いもあったし、なんならコロナ禍で出会った人たちと最近はよく遊んでいたり交流を持つようになったわけですが、それ以上にやはり「別れ」というものが大きく印象的な20代だったことに変わりはありません。いまの教え子たちが「20代ってどうだった?」と聞くことがあるかもしれません。そのときは「別れの20代だったな」と説明すると思います。
30代だからといって何が変わるわけでもなく、たぶん毎週1本はMATCHを飲むだろうし、通勤時間の読書は欠かせないし、毎年毎年現状維持というものもないと思っています。だから来年31歳を迎えるころに何をやっているかわからない。29歳になった直後には、今のコロナ禍や唐突に訪れた転職活動もまったく予想だにしていませんでした。10年後の40代なんて想像すらできません。結婚してるのか、それとも死んでる可能性だってあるし。
30代を迎えた瞬間薪を焚べながら「30代はこの燃え盛る炎のように・・・」なんてことを口走っていましたが、ほどほどに、ご機嫌に、出会いと別れを繰り返しながら、自分のできることをしっかりとやっていく30代にしていこうと思います。
お祝いコメントをいただいたみなさま、本当にありがとうございました!