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僕の「学び場」が消える

「あそこの銭湯、今月で閉店するから行っといたほうがええぞ」

正月、親戚宅での新年会で伯父がそんなことを言った。正直、青天の霹靂もいいところだった。しかしこういう日に限って僕は風呂セットを持ち合わせていない。しょうがないので、1月中のどこかでなんとか時間を見つけてその銭湯へ行くことにした。

ところが身辺や仕事で正月早々てんてこまいの日々が続いてしまい、ようやく時間を取れたと思ったらその日は閉店の1日前だった。まあ間に合わないよりマシだ。電車に乗って、僕はその銭湯へ向かった。

その銭湯ができたのは僕が小学生のときだった。家の小さく狭い風呂しか知らなかった僕は、その銭湯が異世界そのものだった。大きな浴槽が2つあって、露天風呂もあればサウナもある。変わり種の風呂の多いその銭湯に、井の中の蛙だった10歳そこそこの少年のテンションが上がるのも無理はない話だ。天井の高い浴場で、めいいっぱい足を伸ばして風呂に浸かった。

今でこそ旅先でも普通に銭湯を探すようになった僕が、銭湯に関する基礎を覚えたのはこの銭湯だった。浴槽にタオルをつけちゃいけないことも、タオルで身体を拭いてから上がらなきゃいけないこともぜんぶここで学んだ。サウナの爽快感もここで初めて味わった。「僕と風呂」みたいなタイトルで作文を書けと言われたら、まず間違いなくこの銭湯に触れないわけにはいかない。それくらい人生に大きな影響を及ぼした、ある種の「学び場」でもあった。

その「学び場」が消える。

20年近くが経ち、井の中の蛙だった10歳そこそこの少年はもうすぐ30代を迎えようとしていた。しかしジェットバスから眺める浴場の全景はあのころと変わらない。ワールドベースボールクラシックの期間中、サウナで日本代表の中継を流していて、限界間近なのにいいところで出られずにいたら中田翔が三振して、その瞬間に「ああ、やっと出れる」とヘロヘロになりながら浴場のシャワーで汗を流したことも、ありありと思い出される。

閉店前日だと言うのに昼間だったせいか、銭湯はかなり空いていた。でも設備が故障しているのに張り紙だけして直す気がなかったり、番頭で常連客が名残惜しそうに会話しているのを見ると、明日で営業を終えることを否が応でも実感させられる。いま身体をゴシゴシ洗っているこのボディソープも、まだたっぷり残ってるのに営業を終えたらどうするつもりなんだろうか。そんなことも思った。

最後にサウナを出るとき、僕は邪魔なのを承知でサウナの入り口で立ち止まった。側から見れば、宮迫の復帰にああだこうだ言及しているテレビが気になっているように見えただろう。でも違う。あの段々になっているサウナの風景をただ目に焼き付けたかっただけだった。

そして露天風呂とゆず湯にそれぞれ30秒ずつ浸かって、最後にシャワーを浴び、また浴場の入り口に立って浴場をぐるりと見渡してから、僕はそっと浴場の戸をしめた。脱衣場に入ってから1時間以上、どっぷりたっぷりと「人生最後の風呂」を楽しんだ。もう僕があの風呂に入ることは、これからの長い人生で1度もない。風呂上がり、カラカラの喉に染み渡った「MATCH」は、間違いなく切なくも人生で一番美味いMATCHだった。

ちなみに、僕以上にその銭湯にハマっていたのが4年前に亡くなった父だった。子どものころはよくついて一緒に入っていたものだが、思春期から大人になるころともなれば、一緒のタイミングで銭湯に行っても浴場で父とすれ違ったりするのがたいへんに小っ恥ずかしかった。でも今日、ジェットバスで子どものころとなんら変わらない浴場の風景を眺めていたら、素っ裸の父親が視界を横切ってもなんらおかしくなかった。そして、仮にもしその光景が起こったとしても、小っ恥ずかしくならない自信があった。

きっと空の上でこの銭湯が廃業することを一番驚き残念がっているのは父親だろう。ね、お父さん。

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