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「この本を開いたとき、偶数ページのある・ほう」が表す言葉って?想像以上にたいへんな、国語辞典を作る裏側を知れる一冊。【飯間浩明『辞書を編む』光文社新書】

「南を向いた時、西にあたる方」(『広辞苑』第6版)
「北を向いたとき、東にあたるほう」(『チャレンジ小学国語辞典』第3版)
「アナログ時計の文字盤に向かった時、一時から五時までの表示のある側。〔「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致〕」(『新明解国語辞典』第7版)
「この本を開いたとき、偶数ページのある・ほう」(『三省堂国語辞典』第4版)

異なる国語辞典から引用したこの意味を表す言葉はなにか、おわかりだろうか。

言うまでもなく正解は「右」である。たとえば野球の守備位置としての「右」(ライト)や考え方としての「右」ではなく、単純な「右」という概念を説明するとき、意外と迷う人もいるはずだ。僕は「この本を開いたときに偶数ページのあるほう」という説明が、ものすごくしっくりときた。もしかしたら一番わかりやすい「右」の説明かもしれない。

この本は、「三省堂国語辞典」の編纂に携わった日本語学者の飯間浩明先生による、「三省堂国語辞典」ができるまで(正式にはできる直前まで)を綴った本である。

日々、新しい言葉がこの世に生まれている。ここで出てくるのは、その新しい言葉を今後国語辞典に収録するか否か、という基準だ。その言葉は本当に誰もが使っている新しい言葉なのか、はたまたごく狭い範囲でしか使われていない言葉なのか。編纂にあたっては数名の識者が言葉を持ち寄り、こうして議論して慎重に採用するかを考えていく。

新しい言葉はいつどこで出会うかわからない。それゆえ、常に飯間先生はメモを持ち歩き、散歩ともなれば不審者覚悟でその言葉が記されている看板を写真に収める。表現が間違っているかどうかは後回し。この姿勢が、実はものすごく大事なのだと思う。

飯間先生はご自身のTwitterでよく言葉の誤用問題について発信されているが、どういう表現であれ「その表現は間違っている」とあっさり結論を下すというのは実は良くないことなのだと思う。「間違っている、と感じた自分が間違っているのかもしれない」という仮説をもって新たな表現と対峙する。それを識者会議で持ち寄って「それは間違った表現だね」となればそれはそれだし、逆に「その使い方は正解なのでは?」ということになるかもしれない。

一見無関係でありそうな国語辞典の編纂から、新たな考え方、ものの見方を学ぶことができる。一進一退の攻防戦という表現もしっくり来る、識者同士がどの言葉を新たに収録するか議論する場面もその白熱した雰囲気がこちらにも伝わってきて、非常におもしろい。さらに、収録する言葉が決まってからも、その意味を平易に表現する作業、またすでに収録された言葉の意味を修正する作業など、気が遠くなるほどの作業がたくさんある。

文章を書くことが多い僕は、日々言葉の意味を確かめるために国語辞典を当たり前のように使っている。その裏にはこうした識者の苦心の賜物が隠されていることに気付かされて、改めて自分が間違いのないように言葉を使えていることに感謝した。

ちなみにこの本の執筆中に編纂された三省堂国語辞典の「右」の意味には、こんな一文が追加されたそうだ。

「「一」の字では、書きおわりのほう」

なるほど、よくわかる「右」の説明だ。


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