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「4つの要素」で意見を言う、意見を見抜く【西岡壱誠『東大で25年使い続けられている「自分の意見」の方程式 最強のアウトプットの作り方』KADOKAWA】

とにかくこのご時世、いろんな「意見」が飛び交っている。新型コロナウイルスのことだ。

諸外国にならって東京も今すぐロックダウンしろ、いやいやロックダウンしたら経済死ぬぞ患者よりも仕事失った自殺者数が増えるぞ、と真っ向から対立している意見が、SNSを覗けば毎日毎日飛び交っている。ハッキリ言ってどれが正しいのか、どれを支持すべきか、そのすさまじい情報量を前にして考えるのも疲れてくるような、そんな思いをしている。

いちおう僕は新型コロナウイルスに関してそれなりに多角的な目線で考えなきゃいけないとは思っているし、ロックダウン云々に関する意見の数々にも思うところはいろいろあるのだが、このエントリではそんな話をしたいわけではない。ただ、こうした数多の意見に疲れているのは確かだ。

・・・ところで、その飛び交っている「意見」とやらは、果たして「意見」と呼べるのだろうか?

この本では、その「意見」を構成する4つの要素として、「事実」「問題」「自分」「提案」を挙げている。

「事実」とは、客観的かつエビデンス(証拠)となりうるデータ。「問題」とはどこが問題と考えているのか、いったい何を解決すべきかという点。「自分」とは意見を言う人間がどういう価値観をもっているのか。そして「提案」は、以上3要素をふまえて、結局何をすべきかというアドバイスを意味している。

「事実」が欠けていれば、やたらと突っ込みどころが多くなる意見になる。「問題」の本質を見抜けていなければ、考えをまとめるのに時間がかかったりどうも論点がずれた意見になってしまう。「自分」を持っていなければ、どういう意見を出せばいいのかハッキリしない。そして、「提案」がなければ、結局何を主張したいのかさっぱりわからない意見になってしまう。この指摘は、何かと自分の意見を言わないと気がすまないタイプの僕としてはかなり「ぎくっ」とした。

こうした「意見」の正体を検討しているのが第一部で、第二部ではそれぞれ「事実」「問題」「自分」「提案」の4要素について深く掘り下げていく。本書はあくまでも「自分の意見を言う」前提で書かれているが、この4要素と意味をしっかりおさえておけば、逆に言えばこのご時世における「正しい意見」を見抜くことにも十分応用ができると思う。

「東京は今すぐロックダウンしなければならない」というのは、果たして「意見」に値するものなのだろうか。逆に「ロックダウンしなくてもいい」「新型コロナウイルスの死者よりも経済的な死者のほうが多くなる」というのも、どうか。いま新型コロナウイルス対策とともに求められているのは、こうした「意見の見方」なのかもしれない、と感じた。


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