突然の休校措置でしんどい思いをする子どもたちに、いま大人ができること2つ
新型コロナウイルスの影響で、唐突に3月から全国の公立全小中学校で休校措置をとるよう要請がなされました。一夜明けて今日、仕事をしつつ様子をうかがっていましたが、案の定というかそりゃ当然だというか、明らかにどこもかしこも混乱しています。
こういう仕事をしているので公立学校の教員が知人友人にたくさんいます。みんな混乱しています。春休み開始日まで休校措置が取られたところだと、(残った授業時間を消化する日が決まらない限り)次の登校日は新年度、つまりクラス替えが待ち構えているので、現学級で授業や学級活動をするのは突然ですが今日が最後です、というところもあったはずです。
しかし先生方も混乱してると思いますが、それ以上に子どもたちが混乱していると思います。突然終わりを告げられた今のクラス。折しも卒業シーズン、卒業式で先輩の晴れ姿や門出を祝いたいのに、告げられたのは「在校生出席禁止」。これだけじゃない、学校にいるほうが楽しいという子も、家族が鬱陶しくて家にいるのがしんどいという子もいます。学校が休みになってラッキー!という子がいる反面、学校が休みになって最悪だ、と思い詰める子だっています。
今回の一件が夏冬の長期休みと何が違うかと言えば、「基本的に自宅待機」という点に尽きると思います。でもこれ、大事なことだとは言えひとつ断っておきますが、「外に居場所がない」というのはめちゃくちゃ苦行です。高校時代、通信制高校特有の長期休みを過ごすのが超下手くそだった僕は、いくら家でぼーっとパソコンするのが好きだとしても、それが1週間も2週間も続くのはめちゃくちゃしんどかった。たまりかねて母親が近くの本屋まで車で連れ出してくれたこともありました。
なので、今回の措置で、長く続く「自宅待機」に精神的な辛さを吐く子どもたちが次々出てくることは、間違いないと思います。まして、気分転換に遊びに行こう!といってもテーマパークや博物館も次々閉鎖されていますし、夏冬の長期休みと違って今回に限っては周りから白い目を向けられる可能性もあります。うかうか外に出られないリスクが、子どもたちの心の健康を蝕むことは確実です。とりあえず期間は2週間~1ヶ月となっていますが、状況次第でこれがさらに延長されることも起こりうる話です。「先の見えない不安」とも戦わなくてはなりません。
だからこそ、そんな子どもたちに、大人が気を配らなければならないことがあります。ひとまず2点押さえておきますが先に結論だけ書くと
・子どもたちの「しんどい」思いを受け止めてあげること
・開いている居場所へ行く(行かせる)ことも考える、そして、そういう居場所へ行く子どもたちに、大人は絶対に白い目を向けない
ことが重要だと思います。以下解説。
・子どもたちの「しんどい」思いを受け止めてあげること
「学校がない」ことのしんどさは、子どもたちによって千差万別です。とくに「家にいるのがしんどい」ということなんて家庭でそんなことを言える子はまあ少ないと思います(この点に関しては後述します)。「休みでラッキー!」という子も、外に出られないというストレスと単調な日々に、そのうち音を上げる可能性も考えられます。友達と会えない寂しさと闘うことになる子も、珍しくないはずです。ひとくちに「学校がないしんどさ」と言っても、こんなにたくさんのことが考えられます。
その思いは、絶対に否定しちゃいけません。
どんな小さなことでも、しんどい思い、寂しい思い、悲しい思いは、言葉にして書くだけでもずいぶんと違います。声に出せるともっと違います。家にいるのがしんどいからとりあえず無理にでもどこかへ行くか、ということをしなくても、まずは目の前の子どもがしんどい思いをしている事実に気がついて、それを受け止めるだけで大きく救われるはずです。
・開いている居場所へ行く(行かせる)ことも考える
たとえばN高等学校が学習アプリを無償公開したり、家でインターネットを用いて勉強したりなにかができるシステムが今急速に構築されて広まっています。そうして「家を居場所にする」ことが、これからの休校期間を充実させるための大きな要になってきます。
しかしそれでも、家にいたくない子どもたちは存在します。
そんな子どもたちを、「自宅待機だろ」と見殺しにして家にいることを強要していいものなのか。僕は、新型コロナウイルス「ばかり」に気をつかいすぎるとたいへんなことになるんじゃないのかな、と思います。生死のリスク、心身の健康を損なうリスクは、何も新型コロナウイルス「だけ」ではありません。いたくもない家にずっといることで精神的に疲弊したり、家庭環境が悪くなってしまう可能性があります。今回の休校措置で僕が一番危惧しているのは、新型コロナウイルスとは違うリスクに子どもたちの生命が晒される結果になって、結局意味なかったじゃんという着地点に落ち着いてしまうことです。
実は、この休校措置の間でも開室を決断した民間の居場所もあります。ものすごい英断だと思います。当然、体調面衛生面に細心の注意を払う必要はありますが、僕はこうした民間の居場所へ足を運ぶことも許されるべきだと思います。毎日が怖ければ週1~2度とか、よりリスクを減らす動きをしても良いでしょう。
とにもかくにも、「長すぎる自宅待機の結果、新型コロナウイルスじゃないところで心身の健康を損なう可能性のある子ども」に対してのケアは、絶対に絶対に絶対に必要です。とくに前述した「家にいるのがしんどい」子どもは、家や家族の不満をこうした外の居場所で発散させてあげる必要があります。でないと、新型コロナウイルスじゃなくて精神的に子どもが死ぬ。
そして、そういう居場所へ行く子どもたちに、大人は絶対に白い目を向けないこと。
自治体によっては学校を開けて、どうしても家庭で1人にできない子どもを濃厚接触がない形で預かるという動きもあるようなので、この休校措置期間中も「100%子どもが外に出ない」ということはないと思います。これは逆に言えば、普通ならありえない平日の昼間に子どもがどこかへ向けて歩いているという光景がしばらく当たり前になるはずです。つまり、こうした子どもたちは決して遊びに行くのではなく、たとえば外の居場所へ勉強しに行くとか、そういう事情がある子どもたちかもしれません。そういう子に「自宅待機はどうした?」と思わないことが肝要なのだと思います。
今回の休校措置を受け、残念ながら中止・延期する決断を下した子どもの居場所も少なくありません。そこに文句を言ったりとやかく言うつもりはありません。しかしこうなった以上、様々な境遇・環境にいる子どもたちがいることだけは決して忘れてはいけない。そして、ある日突然学校という場所が消えてしまった子どもたちもまた、しんどい思いや悲しい気持ちを抱えながら、この「緊急事態」に直面していることを、大人たちはしっかりと、きちんと受け止めなければならない義務があると強く感じています。