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中学3年間不登校だった僕が、なんとなく成人式に行った

この間Twitterでこんなエントリを見つけました。要は「不登校だったけど」「成人式に参加して」「勇気を出して(参加して)良かった」という話だったのですが、ひとつびっくりしたことがありまして。

これ、僕の成人式もかなり似たような感じだったのです。

自分も中学3年間不登校だったのですが、わざわざ当時住んでいた岐阜から京都へ帰省して成人式に出席しました。たしか年末年始休暇が終わっていったん岐阜へ戻り、2,3日して成人式のためにまた帰省したような記憶があります。

けっこう面倒なことをして成人式に出席したその動機は「なんとなく」でした。成人式は誰の身にも一生で一度しか訪れないイベントです。とはいえ、自分は中学3年間不登校、しかもHSC(Highly Sensitive Child:人一倍敏感な子ども)の特長である「正義感の強さ」でたびたびクラスメイトと衝突していた、そんな人間関係が不登校の根底に流れていました。地元の成人式に出席するわけですから、あの当時ぶつかりあったクラスメイトと顔を合わすのはほぼ確実です。

そこの不安もあって、数日前まで誘ってもらった同窓会を含めて行くかどうか逡巡していたのですが、最後は「なんとなく、行かなかったら後悔するかもな」という本当に軽すぎる理由で、成人式参加を決めたのでした。

でも、結論を書けば、成人式と同窓会はなんか楽しかったのです。

ひとり会場に出向いたら、いきなり小学校のころたまに遊んでいた同級生に遭遇しました。「おお久しぶりやんけー」などと会話してたらそいつもひとりで参加しようとしていることが判明して「もうそのまま一緒に出ようやー」ってなって、彼と2人会場の一番後ろの席に陣取りました。

その後の同窓会でもクオカードが当たり、カメラ持ってたこともあって最後は記念撮影のカメラ役までやりました(もちろんあとで誰かに変わってもらって自分も写真に入りましたよ)。これで終わりかと思いきや気がついたら二次会会場へ向かう送迎バスに乗っていて、その日帰ってきたのはなんと夜中の3時でした。

言いそびれていましたが、もちろん同窓会とは「中学の」同窓会です。中学3年間で出席日数30日あるかないかの男が、何食わぬ顔で、ごくごく自然に同窓会にまじり、ときには談笑しながらカメラ持ってたせいかいろんな人の記念写真をせっせと撮影していたわけです。中学時代はまったく接点がなかった子と何故か話が盛り上がって、最後マイミクになったりもしました(そう、当時はmixi全盛期だった!)。

自分も同級生も、あのころ尖っていた角がこの5年で丸くなったのでしょう。あれだけぶつかりあっていたクラスメイトたちが当日袴姿で成人式に出席していて、思わず「新撰組みたいな服装だな」とからかったら彼らに「なんでやねん!」と笑いながらツッコまれたのも、いまだに楽しい思い出としてインプットされています。

中学を卒業してから5年という月日が、いい意味で同級生との関係を「リセット」してくれたことはまちがいありませんでした。

それから同級生たちとなんかあったかと言われたら別にないですし、もう10年も経つとSNS上でも連絡取り合ってる同級生なんて両手で数えられるくらいしかいなくなりました。それでも、あれだけしょっちゅうぶつかり合い揉め事を起こしてきたクラスメイトと後味の悪い感じで別れてから5年後に、角が丸い状態で再会したことで、何かこう関係が整理されたというか、スッキリとした気持ちで成人したあとの人生に一歩踏み出せたわけです。

これは、冒頭に取り上げた『中学時代不登校だった私が成人式と中学校の同窓会に出席した時の話。』のエントリで言う、

そして「20歳の私」として同級生と話すことで、新たな私として同級生と新たな出会いができたような気がします。

このことなんだろうと思います。

そういう意味では、あの日逡巡しながらも「なんとなく」成人式に行っといてよかったな、と思う自分がいます。

もちろん、自分やこのエントリのような例はレアケースなのかもしれません。心の底から会いたくなければ「成人式に行かない」という選択肢で決別することだって容易に可能です。ただし、いま不登校の子どもたちはそんなことなどこの時間に1mmも考える必要はなくて、実際に成人式が近づいてきたときにどうするか決断すればいい、と思います。とにかく、目の前の1日1日の積み重ねが、こうした「新たな出会い」を呼ぶのですから。

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