大人たちよ、子どもにもっと「楽しむ」姿を見せていこう― #8月31日の夜に
木曜日に受けたNHKのインタビューは「不登校の子どもたちの居場所」というテーマがありました。そのとき放送には乗らなかったのですが「子どもと関わる上で意識してることってありますか?」と聞かれたので、僕はこう答えました。
「とにかく『子どもたちと楽しむ』ということを意識しています」
実際、弊団体のフリースクールには「遊びに行っている」ようなもので、勉強を教えたり話し相手になるというよりかはいっしょにゲームをやることが大半です。これは「教員」という肩書で動くときも同じで、たとえば学校行事があれば率先して僕自身が楽しむことにしています。たまに「はしゃぎすぎたな」と反省することもよくあるのですが、僕はこういう大人の存在が絶対に必要だと信じています。
なぜかといえば、大人が楽しめないと子どもは安心して楽しめないから。
僕は普段、不登校だったり、学校に通っていても教師や大人に不信感、不安感を持つ子どもたちと多く接しています。そうなると、何をやるにしてもその場にいる教師や大人の顔色をうかがったり、不信感を持っている場合など相手にしてくれないことだってあり得るわけです。
そんな子どもたちに、自分は何ができるのだろう。
そう考えたときに、目の前のことを「全力で楽しむ」姿を見せるべきではないか、という結論に達しました。何気ない会話から話題のゲーム、勝ち負けが決まるアクティビティまで、全力でエンジョイする。雑談で笑い、勝ったら拳を突き上げ、負けたら悔しがる。「大人げない!」と言われることもしばしばですが、それらはすべて、子どもたちに「ここは楽しんでも大丈夫なんだ」「おもしろいことで笑っても良いんだ」と感じてもらいたいがための行動です。
だから、たとえば文化祭であれば自分から生徒たちにカメラを渡して、展示品のInstagram風フォトフレームを掲げて写真を撮ってもらう。生徒からお願いされれば先頭立って盛り上げ役に徹する。それは傍から見れば「教員なのにはしゃぎすぎ」と苦言を呈されてもおかしくはない行動だということは重々承知しています。しかし「生徒たちに楽しんでもらえる雰囲気を作る」という意味ではめちゃくちゃ大事なことだと思っています。
そして、教員に限らず、大人はもっと「目先のことを楽しむ背中」を子どもたちに見せていかなければならない、と思います。
楽しむ、というのは「機嫌よく生きる」と言い換えることもできます。この間読んでいた、西多昌規『職場にいる不機嫌な人たち』(KADOKAWA)にも書いてあったのですが、たとえば誰かが不機嫌ならばその「不機嫌」は他人に容赦なく伝染していきます。でも逆に、誰かが機嫌よくいれば、その上機嫌も他人に伝染していくのです。
僕は子どもと関わっている時間はなるべく上機嫌でいることをとても大切にしています。あなたのことで怒っていない、気分が悪くなっていない、むしろ楽しく過ごせているよ、というアピールにほかなりません。実際、そんなふうに関わっていると、子どもたちの側から悩みを聞かせてくれたり、ゲームに誘ってくれることもあります。
そういう姿を見ていると、子どもたちはきっと「機嫌よく生きている」大人の姿を欲しているのかもしれない、と感じます。学校でも、教室でも、子どもたちが欲しているのは上下関係を自然に求める大人ではなく、気軽にたやすく声のかけられるお兄さんお姉さんみたいな存在だと思うのです。
だから、8月31日、いや9月1日の夜に、悩みやつらい思いを吐露する子どもたち、それすら吐くことのできない子どもたちを目の当たりにしている大人に伝えたい。
明日から、もっともっと毎日を楽しむ姿を見せていきましょう。
それが子どもたちを救うことにつながると、僕は思います。