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人と話をすることと、常識を疑うこと【藤村忠寿・嬉野雅道『腹を割って話した』イースト・プレス】

「水曜どうでしょう」の藤村Dと嬉野Dによる著書はかなり数多く出版されている。この本は、その中でも200ページ以上のほぼすべてが、札幌の定山渓温泉で繰り広げられた2人の対話、という異色の1冊である。

で、この本の真髄は、「あとがき」にある。

1ページずつ、藤村Dと嬉野Dがそれぞれ書いている文章が並ぶあとがき。ここに記されている藤村さんの「人と話をするということ」と題された文章が名文なのだ。この文章があってこそ、この本が成り立っている。それこそ、僕もそこここで一節を引用するほどに大好きな文章だ(そういえばこの間も引用した)。

要約すると、人と話をするということはすなわち「生きている目的そのもの」であり、人と話をすることによってたとえ解決できなくともスッキリして何かを始めることができる、という文章。家で過ごそうだの外出自粛だの言ってるこのご時世、この文章が心にしみる人たちは絶対多いと思う。

そもそも「水曜どうでしょう」自体、旅番組と銘打ちつつも「話をすること」を通してのおもしろさ、という魅力が大きい。たとえばかの大泉洋氏が「僕は一生どうでしょうしますよ」と苦し紛れに言い放ったこの名セリフも、もとは酔った藤村Dが寝ようとした大泉さんの部屋に乱入し、「腹を割って話そう」とけしかけたのがそもそもの発端だった。この本のタイトルも、ここから来ている。

・・・いきなり「あとがき」の話からはじめてしまったが、本文の対話についても触れておこう。

この本は、午後に定山渓温泉へ移動する車中から対談が始まり、最後は深夜2時という深い時間まで、とことん藤村Dと嬉野Dが話をしている。最終章の最後の話題なんてもう、単なる雑談でしかないのだけど、温泉に入り、たらふく食事をし、酒を飲んでからどんどん2人の「対話」が加速していく。

これはあくまで僕個人の感想だが、夜も更けて、酔いが回れば回るほどに2人の話はより深いところまで入っていくように感じた。最終章はいきなり「8時間労働なんて誰が決めたの?」という話題からはじまっている。たしかに最後はこれ以上ない雑談で締められてはいるのだが、この対談をすべて追えば「常識を疑う力」にこの2人は長けてるのだな、と思った。

たとえば、「水曜どうでしょう」本放送時代に、1ヶ月半放送したあと2週間は放送を休止していた(休止中は「どうでしょうリターンズ」という再放送を流していた)。普通テレビ番組を作るにあたって、スポーツ中継などが入らない限り「毎週放送する」ことは当たり前のように思う。

しかし彼らはその「当たり前」を守らなかった。そして「毎週放送するのは質の担保ができない」と「1ヶ月半放送して2週間休む」サイクルを繰り返していた。毎週放送するのは常識じゃないのか、という声には「その常識は誰が決めたの?」と疑問を呈す。この「常識を打ち破る」ことこそが、北海道といういち地方から発信されたにもかかわらず、いまや日本全国に熱狂的なファンを持つようになった原動力であることは、間違いない。

いま、僕はこの文章を、藤村Dと嬉野DのYouTubeチャンネル「藤やん・うれしーのどうでそうTV」の生配信アーカイブを流しながら書いている。この本が出て9年、嬉野さんは還暦を迎え藤村さんも50を越えた。でもこの2人は相変わらずYouTubeでも楽しく話をしている。これからもずっとずっとこの2人の話を聞いていたい、と改めて思った。


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