忘れちゃいけない、でも忘れてもいい
あの日は、ぼーっとTwitterを見ていたら関西にいるはずの知人が「なんだか気味の悪い揺れ」とツイートしていたのを目にしました。でも自分は揺れに気が付かなくて、それでテレビをつけたらまず新宿駅の手前でストップしてる中央線が空撮されてて、どうやら同じ時間に東京では電車が止まるほどの大きな揺れだったことを知って、たいへんなことが起こっているんだとそこで気がつきました。それからは、ずっとパソコンの前で止めどなくあふれてくる情報に動けなくなったのをよく覚えています。
「歴史を教える」というのは過去の教訓を活かすということでもあって、たとえば岩手の沿岸部では「津波てんでんこ」と言って津波が来たらとりあえずバラバラに逃げろ、みたいな言い伝えが残っています。1000年以上前、東日本大震災並みの大地震が東北を襲ったときは、その後20年近く余震が収まることはなかった、みたいな文献があったという話も聞いたことがあります。僕は社会科の免許を持っていて実際に世界史の教科指導にあたったこともあるので、「歴史を教える」ことの重要さ、大事さは身を持って実感しています。
ただ、その反面で、どうしてもこの「2011年3月11日」を忘れたくて忘れたくてしょうがない人がいる、どうしたって記憶に残ってしまうこの日をきれいさっぱりなかったことにしたいと思っている人は、絶対に一定数いると僕は思っています。
今年は10年の節目になるので、3月に入ってからとくに毎日のように家が流され、家族と離れ離れになり、それでもなお・・・みたいな物語が毎日のようにYahoo!のトップを飾っていた気がします。僕はそのひとつひとつの見出しを目にしながら、「この日のことを思い出したくない」人がこれを目にしたらどんな気持ちになるのだろう、ということばかり思っていました。
3月になれば、彼らが誰も望んでないのにテレビも新聞もあの日のことを目の前に突きつけて、辛いことを思い出させようとする。それが正義であるかのように。違うんです。本当の友達なら、その日のことは忘れさせようとするはずなんです。友達ならもっとうまいやり方があるはずなんです。
僕はね「あの日のことを忘れないで!」という論調がまったくわからない。よくそんなことを他人が言えるなって。だって彼らは自分たちの思いもよらないところで自然災害にあってしまっただけのことで、そんなものは早く忘れるしかないのに。なぜ他人が「忘れるな!」と言いつのって彼らに悲しさを押し付けるんだろうって。それはとても身勝手なことだと僕は思うんです。彼らはもう新たな町を作ることに精一杯で、新たな家族が生まれてミルクをやり、仕事をすることでいっぱいいっぱいなのに、ヒマなひとたちが「あの日の悲惨な映像を見て日本中が泣く震災記念日」を作って、忙しい彼らを付き合わせているだけのような気がして。
これは5年前の春、「水曜どうでしょう」の藤村Dが自身のFacebookに書いていたものです(全文はこちら)。前述したとおり、過去の教訓を活かすために「歴史を教える」ということも大事です。しかし反面、僕はこの藤村Dの言う、他人が忘れるな!と言うその身勝手さも、めちゃくちゃ理解できるのです。
みんながみんな「忘れない」というのは、やはり酷なんだろうと思います。それは風潮としてもいっしょで、本当はそれぞれがそれぞれの向き合い方があるのに、なんなら日常の1日としてとらえたいのに、なんだか「忘れない」という雰囲気が結局あの日のことを思い出させてしまう。忘れない忘れないと言っても、どこかではいまのこの雰囲気がものすごく辛かったりしんどい思いをしている人も、いっぱいいると思います。
繰り返しますが「忘れない」「忘れちゃいけない」っていうのは大事です。でも、「忘れたい」と思っている人もどこかにはいる。「忘れない」「忘れちゃいけない」の報道や雰囲気の中で、「忘れたい」と言う気持ちにもしっかり向き合い、極論「忘れてもいい」という選択肢が許されるくらいにその気持ちにもきちんと寄り添わなきゃいけない1日だと、毎年毎年この日を迎えて思うのです。