暗闇の中の自分
ダイアログインザダークに参加してみて
研修の中で、ダイアログインザダーク(DID)が開催された。
DIDの詳細はHPを載せるのでそちらを参照してほしい。
いわゆる、暗闇の中での対話である。
最近、対話というものを良く耳にする。実際に導入しているところも多いだろう。私が認定講師となったABD(Active Book Dialogue)も、最終的には対話が設定されている。
ブームというか、世の中に対話が求められていることは言うまでもない。
暗闇の中での対話、一体どのようなことをするのだろうか。
私が体験したプログラム(活動と呼ぶのがふさわしいか?)を順番に紹介し、その活動での気づきと考察を述べていこうと思う。
【目隠しをしての自己紹介(ニックネーム)】
まず1番最初に、目隠しをする。当然だが暗闇を作るには視覚を遮断する必要があるからだ。そしてニックネームを自分で考えて伝える。
参加者はアテンド(我々を暗闇の世界に誘う案内人)を含めて8人いる。それぞれニックネームを順番に言っていくのだが…。
まず最初の不安は、「覚えられるのか?!」である。
ものの名前や効果音、色々名前があって頭がこんがらがる。少し緊張もしているので、不安がどんどん増してくる。
しかし、いざ移動となると、そのような不安は一気に消え去った。
【場所の移動】
廊下の椅子からのスタートだったので、会場に目隠しをしながら入る必要があった。
アテンドの肩に手をかけて、列車のように連なって移動をするのだが、普通の指示が難しい。
「それではアテンドを先頭にして列を作ってください!」
もう始まっているのである。DIDは。
お互いに手を出して存在を確認し、前後が誰かをニックネームで確認する。
混乱にも近い状態なので、ニックネームを間違えも何の問題もない。
そんなことをしていると、名前は簡単に覚えられてしまった。視覚情報があると、顔と名前を一致させる必要がある。今回は名前と声だ。なぜか声の方がスムーズに一致させることができたように思う。なぜだろうか。
そして、列になって移動をするのだが…。
障害物があるのだ。今回は扉と段差だ。
「扉ありまーす!左手で〇〇が触ってまーす!」
「段差ありまーす!今〇〇がのぼりました!2段ある!」
このようなやり取りが参加人数分される。1番後ろなんて言わなくてもいいのに言ったりする。何なんだこの一体感は。移動しているだけだぞ。
助け合いがすでに生じているということだろうか。本来であれば目の端で捉えたものをそのまま何事もなくスルーしているが、今回は視覚が遮断されている。その不安からか、丁寧な声掛けがなされるのだろうか?
【触覚、嗅覚、味覚】
体験を終えてすぐに記しているのだが、少しずつ新鮮な感覚を忘れていく…。
会場に入ると、円を作って座るように指示される。なぜか私達はずっと手を繋いだままだ。人肌恋しかったのだろうか。
まず、水が配られた。器に入った水だ。
触ると冷たくて気持ちいい。私は水の器に気を取られていたので、参加者の水の触り心地を聞いてから水を触ることになってしまった。
手にひっつくような、いやでも水…。とちょっと水とは何かにはなかなか近づけなかった。
そして、器は2種類あったそうで、その区別を暗闇の中でつけることはできなかった。
人によって感覚が違いすぎる。私は楕円形のレモンを半分に切ったような形だと思っていたのだが、思っているより細くて船のような形をしていた。他の人は檜のお弁当箱のようなまん丸とした形だった。
私の触覚は思ったよりも感覚がよくないのかも。
その後、お菓子を食べる時間となった。
配られたのは、ポイフルとパイナップルの入ったチョコ。
それぞれ順番に食べるのだが、味を言われるとその味に感じてきてしまう。
ポイフルはりんご味だったのだが、「青リンゴではない」と言われるとなんだかりんごっぽくなくなってくるのである。最終的に桃味だと思ってしまった。情けない。思い込みの力とはすごいものである。
格付けチェックを笑っている皆さん、思ってるよりアレは難しいと思いますよ。
ゴミを捨てる時にも、順番にゴミ袋を回して捨ててもらうのだが、ニックネームを呼びながら袋を渡す。その時にも人の性格が出るように思った。
私はコンタクトを取る時、相手の膝をよく触っていたそうだ。
お互いの位置確認のためにしていたと思うのだが、そう言われるとよく触っていただろうな…。日常生活でもそうなのだろうか。
また、座っている位置を変える「席替え」があったのだが私は急に立ち出して移動しようとした。
まさか座ったまま場所を変えるとは…。参加者を驚かせてしまったようで、暗闇の中で必死に止められたことを覚えている。
立って移動しようとしたのはなぜなのだろう。座るのに飽きたのだろうか。
【うちわ】
次は暗闇の中で2人組を作り、うちわが配られた。片方があおいで、タイミングをみて交代する。
私はあおがれる側になった時、とても寒かった。勢いが強くて風邪引くかと思うくらいに。
しかし、向こうからすると風を届けるためのちょうどいい力加減だったようで…。
このような違いを身近に感じることができるのが、このDIDの面白いところである。視覚情報がある中でうちわであおぎあっても、恥じらいが生じるだけだから。
【キャッチボール】
場所を入れ替えて、音のなるボールのキャッチボールが始まった。
ルールは、
・転がす人は相手のニックネームを呼ぶ
・自分の好きな「スポーツ」を言う
・名前を呼ばれた人は拍手をして場所を示す
これだけである。簡単そうに見えるだろうか?ルールは簡単なのだが、暗闇の中、音を頼りに相手へとボールを転がすのは思っているよりハードルが高い。できっこないと思ったが、参加者全員が成功していた。すごい。
私が最初に転がした時は音が右斜にいってしまうような音がして、失敗したと思ったら、参加者の方が右斜にもともといた。私は聴覚も少し怪しいのか。
日頃から視覚に頼っている証である。
【ダイアログ(対話)】
そして、DIDも佳境となる。
最後の活動、ダイアログである。
今回はお題が決められていた。
・穏やかさとは
・自分らしさとは
・挑戦することとは
この中から一つ選んで対話していくのだが、なかなかに難しい。
最初は「穏やかさとは」だった。
対話は沈黙の中に思考があって、私は対話においてら割と考え込んでしまうタイプだ。そんな中回答を求められるとそれこそ穏やかではなくなる。
結局自分の中で納得のいかない、よくわからないことを言って終えてしまった。
大学生の頃は回答に困るなんてなかったのにな。
怖いものなしではないけど、何を答えるにも自信があったのに。いつからこんなに答えを吟味するようになったのだろう。これは退化?
対話活動を通しての私の結論は、
「経験が穏やかさを生む」である。
恐れや不安は、未知との遭遇によって生じる。穏やかでなくなる(落ち着きがなくなる)というのは経験が足りていないからである。自分にとってキャパオーバーであるともいえるだろう。
色濃い経験を重ねれば重ねるほどに、人としての豊かさが増していき、未知との遭遇があったとしても凛として対応できるのであろう。
「まぁいっか」と思えるのも穏やかさを生む要因だと思うが、それらは「まぁいっか」の経験が多ければ多いほどそう思えるのだろうなと。
アテンドより、「自分らしさ」を聞きたい!と言われ参加者全員でそれも話してみた。
アテンド曰く、キャラの濃いメンツを集めてみたようだ。
全員がキャラが濃いとは言ってなかったので、多分私は薄い側だろう。メンバーを後で確認してそのように感じた。
【ふりかえり】
私にとっての自分らしさとは一体何だろう。
最近は自分らしく居ることができているのだろうか。教師としての自分が更新されていくような心地はするが、それが本当に自分らしさにつながっているようにはあまり感じなくて。
でも今直面している課題は去年の自分には全くなかった課題で、教師としては必要な力なのだとは思う。
でもあの接し方でいいのだろうか、毎度毎度愛を持って接することができているだろうか。自然と振る舞えているのだろうか。それこそ自分らしく毎日を過ごせているのだろうか。
子ども達に合わせすぎていないだろうか。支援者であるが、今の自分はファシリテーターだろうか。
毎日悩んで悩んでモヤモヤしながら過ごしている。
そんな中で「自分らしさ」とは?!
あまりにも尖った質問すぎる。現在模索中です。それが答えです。
また訳のわからない回答をしてしまったのだが、参加者やアテンドの意見を聞いて精査してみようと思う。
私の思う「自分らしさ」は、「考えること」である。ファーストペンギンになることはできるし、二の足を踏まずにスタートできる一面もある。だがスタートした後に考えたり、猶予があればそれに対して熟考して望むことが多い。
でも、子ども達の姿や子どもの授業を振り返って、自問自答する日々が続いている。
あの言い方でよかったのか。あの場所で伝えてよかったのか。もっと褒めてあげたらよかった。注意しないとしんどくなるのは向こうだった。
毎日が不安だ。帰りの電車や寝る前に思う。
明日笑顔で来てくれるだろうか。怒られてそっぽ向いてないだろうか。
心配を潰すために考えると、考えたから浮かんでくる心配もある。
でも考えることをやめられない。だって気になるから。
これが私の「自分らしさ」だ。
【さいごに】
DIDは、自分と向き合うことのできる体験という一面でも取り上げられているが、研修などに導入されることが多い。
他者を介した対話による自己の見つめ直し、アイデンティティの再構築。これらがDIDで得ることができるものだ。
今回、私も自分を見つめ直す(見つめ直された)ことができたように思える。「自分らしさ」をある程度定義できたのは自分の中でとても大きい収穫であった。
こういった思考は、対話の機会がないとしない。そして自己の見つめ直しは定期的にしないと自分の軸がズレていく。積極的に対話活動には参加したいなぁと思わされた体験であった。
いつか本物のダイアログインザダークに参加してみたい。