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雪国

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
駅長さん!駅長さん!...

....急遽やめてTABIPPOと自分について話していこうか。


福岡全都市合宿にて高校生でTABIPPOをやっている子がいた。
2年前の自分はどんな気持ちだったんだろうなーと考えた。
妄信的だったのかもしれない。
視野が狭くてがむしゃらだったのかもしれない。

とにかく代表のことが大好きで
この人と一緒に居たいと思っていた。
人から感謝されてお金をもらうってことが初めてで
イベント通じて仲良くなるお客さん。
しゅんけいもその1人だ。

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色々あって家族に恵まれなくて生きるためのお金もなくて
子供達で生きるために汚いお金を作ってた時期もあった。

TABIPPOに入ってからは、その時期も打ち切った。

イベントを通して頂く温かいお金。
TABIPPOでシェアハウスをして家族と思える人と食べる夜ご飯。
夢を諦めなくてよい環境を手にできた。

そんな当たり前を知って嬉しかった。
その分、どれだけ自分が孤独だったのか直面させられて
1人で何回も泣いて悔しくて。

自分には複雑な経験ばかりで、

「児童養護施設よりも家に帰りたかった。」


何度も何度もそう思った。

家で寝る事すらも怖くていつ壊れた父に殺されるのか分かんない。
家の足音が本当に怖かった。


「置かれた場所で咲きなさい」
その言葉を信じてずっと今を歩いてきた。
でも、
どれだけ挑戦して歩いても置かれた場所が原因でつまづいて。
もう歩かなくてもいいかな。何度も思って歩くのを辞める決意をした。
てか、自分がいなくなったらその分のお金を姉や母が困ることなく生きれると思った。


でも、怖くてできなかった。

分かりますか?

小学4年生が包丁を握りしめて怯えながら寝る夜を。
家の外でカップ麺を食べる悔しさを。
消えることのない絶望を。
行き場の無い寂しさを。

もう昔のことだから覚えてないけど、忘れてない。
忘れたことは一度もない。
今でもずっと心の何処かで戦っている。

俺にとってTABIPPOは家族だと思ってる
そう信じさせてほしい。

みんなが気になっている
3年間もTABIPPOをしてる理由なんて、
単純。家族と思える存在を探してるだけ。

1年目で家族と思える場所ができたはず。
だけど活動が終わればTABIPPOとしての関係じゃなくなって
半年に1回会えれば良い方になっていく。
それがすごく寂しくて、もう一年続けた。

3年間、同じことを繰り返して今になる。

TABIPPOに対して、
みんなが求めているのと自分が求めているものは
違うのは一番分かっている。

でも、俺は3年目。
今まで4年目をした人はいない。
もう旅立つ日は近づいてる。

BPFまで残り24日。
24日後にどうなりたいかじゃない。
残りの24日。どう過ごすか。

さぁ頑張ろうか。なぁ家族たち。

...みやたいは奇行が多い。

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