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グラデーションと崩壊

昔から、季節の変わり目に敏感だ。

春から夏に変わる瞬間や、冬の足音、そういったものを、全身が感じ取る。

ちょっと前、まさに秋から冬への変わり目だった。温度や景色、そういったものが、一気に冬のそれへと向かっていく。

今はもう、冬と言っても差し支えないだろう。これから徐々に、季節はさらに深まっていく。

季節はグラデーションなのだ、と思う。

昨日と同じ季節は二度とやってこない。いつも常に、次の季節へと向かう変化の真っ只中にある。

北風が吹き始める。少し、肌寒く感じて、人恋しさを覚える。そして同時に、季節は常に変わり続けていくのだな、と僕は感じるのである。

・・・

最近、友人の結婚式によく参加するようになった。

結婚式では、たいてい昔の友達と再会する。そして、例えば、高校の同級生らと会うたびに、僕は思うことがある。

あー人の内面って、こんなに変わらないんだなー、と。

無論、外観上は多少の変化は伴う。肌に増えていくシワとか、次第に寂しくなっていく髪の毛とか、そういう見た目の部分は否応なしに変化をしていく。

人は、老化を止められない。

しかし、人の芯みたいなもの、パーソナリティの中心、そういうものは、みんな変わらないのだ。優しさだったり、情熱だったり、好きなものだったり。

そういう、「その人を形作る芯」は、あまり変化しない。

どれだけの時間を経ても変化がしないというのは、嬉しいことでもある。安心感や信頼関係はそこから育まれる。

でも、その事実に寂しさを覚えるのも、また事実である。

・・・

そんなことを思っていたわけだが、ある時、中学の頃からの友人から、こう言われた。

「きむ(僕のあだ名)は、変わったよね」

僕は耳を疑う。僕が一番、変わってない人間なのではないか、と内心では思っていたからだ。

「どういう風に?」

そう聞いてみた。

「うーんなんだろ、落ち着いた気がする」

へぇ、そうなのか。

「あーそれはわかるかも」

その意見には、他の友達も同意していた。僕は、このことについて、少し考えてみたくなった。

・・・

落ち着いた、と言われるのは、実は初めてではなかった。

例えば、職場で会社の人から、そう言われる。

今の職場で働き始めてもう3年が経つが、「俊平は落ち着いたよね〜」という言葉を度々浴びせられる。

僕自身としては、全くその自覚はないのであまり気に止めていなかったのだが、昔からの友人にも同じことを言われると、あれ、そうなのかな、という気もしてくる。

・・・

「エントロピー増大の法則」というものがある。

これは自然界における全てのものは、秩序のある状態から無秩序の状態へと向かっていく、という法則である。

例えば、部屋は、放っておけば散らかっていく。自然と綺麗になっていく、ということはありえない。

コップからテーブルに溢した水は、もう二度とコップに戻すことはできない。ある程度なら頑張ってできるかもしれないが、「完全に」戻すのは不可能だ。

覆水盆に返らず。

年は争えない。

全てのものは、そういう風に、秩序のあるところから、秩序の無くなる方向へ、すなわちカオスへと向かう。

僕がここで感じる疑問は、こうである。

もしかして、人間の心は、逆に、秩序が形成されていくのだろうか?

言い換えると、人間の心は、エントロピーが増大するのではなく、減少していくのだろうか?

カオスから安定へ。

自然界の中で、人間の心だけは、安定へと向かいゆくのだろうか?

・・・

それはもしかしたら、成熟する、ということの本質なのかもしれない。

僕らはもしかしたら、より秩序だった方へと向かうグラデーションの中にいる。

たしかに、身体は老いていく。

でも、崩壊へと向かう身体を身に纏いながら、その内側で、より秩序を保とうと変化しているのかもしれない。

そういう矛盾を、人間は抱えて生きている。

・・・

冬の風が吹いている。

この寒い冬を越したところで、また来年も同じ寒さがやってくる。

季節においては、複雑性が増すわけではない。季節には、シンプルも複雑もない。

それは、ただ、同じことが繰り返されていくだけだ。

人間の心は安定へと向かっていく、ように見える。季節は、いつまでもグルグルと回っていく、ように見える。

そして、知らないうちに、僕らはゆっくりと、崩壊へと向かっていくのである。

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菊池俊平
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