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文章を書くということ

僕が文章を書き始める時、大抵の場合、何か伝えたいことがあるわけではない。

そうではなく、こうして書いていると、自然と、言いたいことが生まれてくる。

次々と頭に浮かんでくるイメージを、言葉として形にしていく。

そうしていくと、やがて、一つの文章が出来上がっていく。

・・・

それは、行き先を決めずにドライブすることと、少し似ているかもしれない。

カーナビに目的地を設定せずに、その時その時で、右に左にと判断して、進んでいく。

しかも一人でやるもんだから、どこへ辿り着くかはわかったものではない。

その試みは、とても、スリリングだ。

とても細い道だったり、時には行き止まりだったり。

気がつくと、全く知らない土地にたどり着いていて、その場所の意味を遡及的に考えることになる。

・・・

大学生の頃、ある女の子と、そんな感じのドライブをしたことがある。

目的地はなかった。
夜の12時をまわった、丑三つ時も迫る深夜。
無意味に、車を走らせていた。

その時は、山奥のイルミネーションにたどり着いた。

だだっ広い駐車場に、車は一つとしてなかった。

僕らは車を停め、夏の虫のように、ふらふらとイルミネーションの園内に入っていった。

しかし、イルミネーションと言っても、そんなロマンチックなものではなかった。

誰一人として、そこに、いないのだ。

昭和の雰囲気が漂う広大な公園で、意味もなく燦然と輝く無数のイルミネーション。

怖い。

これが映画なら、そのジャンルはロマンスではなく、間違いなくホラー映画だろう。

暗闇から何かが出てくるような気がした。
いや実際に、何かがいた。

走って、逃げた。

なぜか無人の門が閉まりかけていて、心臓が止まるかと思った。

・・・

無人のイルミネーションは恐ろしい。

さすがにスリルの度が過ぎている。

この事件(?)の後、僕は「斧を持ったピエロ」から追いかけ回される夢にうなされることとなった。

しかし、スリルには、中毒性がある。

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あるいは、一人で何も考えずにドライブをしていると、突如として目の前に太平洋が見えてきたりする。

開けた場所で、見晴らしはとてもいい。

近くのパーキングエリアに車を止める。
海の見えるカフェでひとり、読書をしながら時間を過ごす。

やがて太陽が落ち、夕焼けが空に広がる。

カフェを出て、海の様子をうかがいにいく。

そこで、美しい女性と出会う。

僕らは、カサブランカのひとコマのように、素性を明かさないまま、二人だけで時を過ごす。

・・・

僕にとって、文章を書くというのは、そういうことだ。

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菊池俊平
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