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タイでの年越し

「ファッッッッッキン!」

すごく肩身の狭い思いをしながら、妻と二人で、大きいバンの真ん中の座席に座っている。

僕の左には妻。
僕の右にはブロンドの美女がいる。
前方の助手席、および僕らの後ろの座席も西洋系の人に囲まれている。

運転手だけ、いかついサングラスをかけた、タイ人だ。
運転がとにかく荒い。

「ファッッッッッキン!」

助手席に座る男が、荒過ぎる運転に檄を飛ばし続けている。

運転手は、しかし、気にも止めていない。というより、その英語の意味をおそらく理解していない。

さらにこの運転手は、適切なブレーキを知らない。

目の前に障害物が表れると、自分が避けるのではなく、「クラクションを鳴らす」という意思決定をする。

プップーーーーーーーー。

クラクションは鳴り続け、オンボロのバンは凄まじい推進力を持って進んでいく。

そしてクラクションが鳴るたびに、「こいつの運転ヤベェぞ!」というようなスラング全開の会話が、車全体で交わされる。

空港を出発してからずっとこんな調子だ。

大丈夫なのだろうか?

無事ホテルに辿り着いた頃には、僕と妻は安堵のため息を漏らした。

どこの国も、タクシーは、なんでスピードを誇示する傾向があるのだろう。

・・・

大学生の頃、バイト先の先輩から、よく映画のDVDを借りていた。

当時はネットフリックスもアマゾンプライムビデオも無くて、映画を観ると言えば映画館へ行くかDVDを借りるかの二択だった。

大学生にとって映画館の出費は安くないので、TSUTAYAで借りるのがセオリーとなる。

要するに、映画を観るのは今よりもずっと面倒なことだった。

その先輩は洋画に精通していて、「映画を観たいけど何を借りたらいいかわからない」という僕に、様々な作品を貸してくれた。

・・・

その時に借りた作品のひとつが、「ニューイヤーズ・イブ」。

12月31日、すなわち大みそかのニューヨークを描いた作品だ。

様々な登場人物の、年末のドラマが展開され、物語はクライマックスの年越しの瞬間へと向かっていく。

ストーリーがとても面白く、かつニューヨークでの感動的な年越しに心がときめいた。

そして、この作品を観て、「海外で年を越す」という体験に憧れるようになった。

・・・

「年末はタイで!」

そう言いだしたのは妻だった。

僕は、「いいよ」と二つ返事で承諾した。

ニューヨークではないけれど、タイも悪くない。

・・・

一昨年の年末。
僕らは岩手にいた。

雪の大晦日。
日本の年末は、本当に寒い。

ホテルの部屋でふたりきり、紅白歌合戦を観て過ごした。
NHKの「ゆく年くる年」を観ていると、いつのまにか年を越していた。

テレビからは、いつもの年始と同じように、寒々しいお寺から除夜の鐘が聞こえてきた。

・・・

「あついねぇ」

熱々の砂と、真っ青な海。
プーケットのパトンビーチは、そんな光景で僕らを出迎えてくれた。

まさに南国。
ハワイにもタヒチにも行ったことがない僕にとって、こんなリゾート!といった風情のビーチは初めてだ。

12月とは思えないほどの、暑さ。
暖かい場所へとバケーションに来ているのだろう、周りには欧米人が多く見受けられた。

パトンビーチでは、いくつかステージのようなものが準備されていて、それが大晦日のイベントに向けたものであることは明らかだった。

・・・

12月31日の、夜。

パトンビーチには、人が敷きつめられる。

ある場所では、設置されたステージからガチガチのEDMが流れ続け、お酒を飲みながら人々が踊っている。

またビーチでは、幾つもの空飛ぶランタンが打ち上がる。

そのうちいくつかは、うまく打ち上がらず、火だるまになって、身動きの取れない人混みに落下していく。
そして、悲鳴が飛び交う。

「なんだ、ここは…?」

日本でしか年を越したことのない僕にとって、それは異様な光景だった。

・・・

ビーチの一角、少し静かなところで、僕らは腰をかけた。

いつの間にか、時刻はもう23時50分。

その瞬間に向けて、徐々にビーチ全体のボルテージが上がっていく。

そして年越しの瞬間、ビーチの十数か所で、花火が一斉に打ち上がった。

なんというハッピーニューイヤー感。
しんみりした除夜の鐘とは、対極の雰囲気だった。

そんな光景を見ながら、僕らは、静かに乾杯した。

・・・

日本の場合、除夜や大晦日と呼ばれているだけあって、年越しは「年末感」が強い。
それは、一年の終わりのイベントなのだ。

しかし、ここはどうだろう。

ここにあるのは、まさしく「New Years`Eve」。

それは「一年の終わり」を偲ぶ行事ではなく、「新しい一年の前日」に騒ぎ立てるお祭りなのだ。

タイのプーケット、そして、ニューヨークもきっと同じような感じだろう。

もちろん、日本でも、カウントダウンのライブが行われたり、お祭りのようなイベントは存在する。

でも大多数の日本人は、室内で紅白歌合戦を見ながら、のんびりと年越しを迎えるのではないかと思う。

そして、なんとなく、日本のようなしんみりとした「年越し」の方が、世界的に見ると少数派なのではないかと思われる。

・・・

それからしばらくビーチを散歩して、歩いてホテルへと帰った。

「面白かったね。でもやっぱり、のんびりした日本の年越しの方が、好きかもな」
「そうだね」

一年の始まりは、静かなほうがしっくりくる。

そういう学びがあった。

・・・

ひとつ、困ったことがあった。

年越し蕎麦を食べないと、「年が納まった実感」が全然わかないのだ。

今度、海外で大晦日を過ごす時があったなら、どん兵衛か緑のたぬきを持ってこなくては…。

そんなことを考えながら、僕は眠りについた。


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菊池俊平
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