虹はどこにある?
子供の頃、虹を見ると、そこの下の景色に想いを馳せた。
ふもとまで行こうとしても、どんどんそれは逃げていく。
近いようで、遠い。
追いかけているうちに、いつの間にか虹は、姿を消してしまう。
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最近、映画「横道世之介」を観た。
吉田修一の小説が原作の、青春映画だ。
長崎から上京した横道世之介が、東京のアパートに下宿しながら、素朴だけど愉快な大学生活を過ごしていく。
世之介にとって、東京での暮らしは初めてのこと。
ホテルでのアルバイトには心が踊ってしまうし、年上の綺麗なお姉さんは、必要以上に色っぽく目に映る。
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キラキラした上京生活だが、しかしながら大学では、世之介と友達たちは、なぜかサンバサークルに入ってしまう。
別にサンバが好きだったわけでも、踊ることへの情熱があったわけでもない。
ノリと雰囲気の意思決定だ。
予想外にも、合宿は、超体育会系。
厳しい練習をしながら、「あーこんなはずではなかった」と呟く。
描いていた大学生活は、もっと都会らしくて、格好良かったんじゃないのか?
そんな後悔を滲ませながら。
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期待していたものとは違うことなんて、人生ではよくある。
その時、僕らは後悔する。
もっと、こうしておけばよかった。
こんなこと、しなければよかった。
やらなかった自分を悔やみ、やってしまった行いを反省する。
人生は、そんなことの繰り返しだ。
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世之介の映画で描かれているように、大学生活はその最たる例だろう。
理想的な大学生活を思い描いても、それ通りに進むことはほとんどない。
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僕は、二つの大学に通ったことがある。
詳しく話すと長くなるが、大学二年の時に仮面浪人をして、新しい大学に通うことになった。
1回目の大学では、「もっと真面目な団体に入っておけば良かったな」という反省をした。
なので、2回目の大学では、満を持して「起業部」という真面目そうな団体に入部した。
反省を活かしての意思決定。
それは素晴らしい決断に思えた。
しかしあろうことか、起業部は、たったの3ヶ月で、事実上解散してしまった。
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自分で仮に、素晴らしい理想が描けていたとしても、状況は刻一刻と変わっていく。
現実には、自分では予期できなかった変数が数多く存在する。
欲しいものは手に入らないし、
好きな人は遠くへ行ってしまうし、
お金はいつの間にかすっからかん。
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夕立が降り、悲しみにくれたある日の午後、遠くの空には、虹がかかっていた。
その虹を眩しそうに見つめる、自分。
大人になった僕は、もうそれを無邪気に追いかけることはしなくなった。
その虹には、永遠に到達できないと知っているからだ。
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僕らが描く理想に対して、現実は、往々にして追いついてくれない。
理想と現実との差分は、小さくないかもしれない。
でもその差分を、決して絶望として捉える必要はない。
それは時に、人生のいいスパイスとなるからだ。
虹も、決して触れることができないから、それを美しいと感じるのだと思う。
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二回も経験した大学生活は、たしかに、理想のものとはかけ離れていたのかもしれない。
しかしながら、後悔は一切ない。
振り返ってみれば、そこには宝物のようにキラキラとした日々が転がっている。
理想の生活にならなかったのにも関わらず、不思議なことに、それらは溢れんばかりの輝きを放っている。
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気がついたらいつの間にか、遠くの虹は見えなくなっている。
でも、もう悲しむことはない。
なぜなら、僕の真上には、僕には見えていない、誰かにとっての虹がかかっている。