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【あの頃:日経記事から②】東日本大震災から日本の復興を願うアジアの国々
筆者・三河主門が日本経済新聞の記者・デスク時代に(本名で)書いた記事が「日経電子版」の中にいくつか残っているので、リンクを貼ってご紹介してみます(「©️日本経済新聞社」です)。
「東日本大震災」という呼称が定まる前、被災から5日後のタイ・バンコクで開かれたタイ政府とNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の会合。環境配慮型の、鉄スクラップなどを効率的に溶解するアーク炉技術の実証実験を共同実施する覚書(MOU)の調印式だったが、タイ側のメディアからは「大きな被害を受けた日本に今後、タイなどの技術支援を続ける余裕はあるのか」――との質問も出た。
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タイ政府は2011年3月11日の巨大地震・大津波の直後に、2億バーツ(当時の為替レートで約5億4000万円)と、1万5000トンのタイ米の供出を当時のアピシット政権が決めた。その素早さはタイと日本のつながりの深さ、強さを示すものでもあっただろう。
他の東南アジア諸国の首脳らからも、震災に対してたくさんの支援とともに、復興・復活を期待する声が寄せられた。
政府レベルだけではない。バンコクで最大級のスラムがあるクロントイ地区では、住民らがお札(紙幣)を握りしめて募金箱に寄付する姿もみられた。
当時の空気感を思い出すと、あれだけの震災で「もはや日本も……」と、震撼とする思いがアジア各国にもあったように思う。東日本大震災の後も地震、台風、大雨などによる激甚的災害の多い日本は、なんとか乗り越えようとしてきた。
ただ、税金は高くなった。産業構造の転換や教育拡充による人材の高度な開発、新しい時代を牽引するイノベーションで後れをとった。経済が盛り上がらないまま、インフレが進み、利上げもできずに円安が進んだ。
あれから13年が経過し、今やタイからも他のASEAN各国からも、多くの観光客が日本へと押し寄せるようになっている。まだまだ注目すべき観光資源や漫画・アニメなどのソフトパワーなどがあるからかもしれない。
ただ、記事中でカンボジア商業相(当時)が指摘している「農業・食料開発と環境技術の組み合わせなど、中国にはない日本のノウハウとソフトパワー」は、この10年余りでどれだけ進化したか。ソフトパワーも、伸ばせなければ先細るしかなくなることを、肝に銘じたい。
(了)