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教壇から鋳物工場へ、聖心女子の“献身”の心で後継社長に(昭和電気鋳鋼社長 手塚加津子氏)

日本経済新聞社の日経電子版にある「日経リスキリング」(掲載時の名称は「NIKKEI STYLE」)からの記事です。この日経リスキリングに残っている、「リーダーの母校」という企画向けに書いた記事をご紹介します。

 群馬県高崎市に本社を置く昭和電気鋳鋼は、パワーショベルなど大型重機や、トラック・バス、鉄道など大型車両に使う鋳物いもの部品のメーカーだ。社長の手塚加津子さんは、聖心女子大学を経て教職に就いたが、2001年に亡くなった父の後を継いで実業の世界に飛び込んだ。

昭和電気鋳鋼(群馬県高崎市)は、はがねを鋳物で成型し建設機械や鉄道などで使う大型の部品・部材を造っているメーカー。大型重機のシャベルのツメや、トレーラーの動力車と荷台をつなぐカプラーベースなどでは国内最大手という小さなトップ企業だ。現社長の手塚加津子氏は2007年、祖父と父が60年かけて拡大してきた重工業向けビジネスを3代目として継承した。会社を守ろうと後を継いだ背景には、中学・高校時代を過ごした聖心女子学院での体験があったという。

(↑リンク記事のリードから引用)

――入社して最初は総務部長に就任。社業全般を見渡して会社を把握しようと心がけたが、女子校出身で「ものづくり」に縁がない世界から来た新参者に、社内の目は冷ややかだった。
「初めて工場の中に入ってみて驚いたのは、全体的に暗くて工具類もあまり整理整頓されておらず、まさにカオスといった状態だったことです。働いている従業員はみんなすすで真っ黒になりながら、火花を散らして鉄と戦っているという感じで」
「私は『ものづくり』については素人でしたが、現場が汚れている、散らかっているという状態では、生産性が上がらないのではと直感しました」

(↑リンク記事から引用)

 聖心女子学院の中等部・高等部から聖心女子大学へと進学した中で、ボランティア活動を通じて西行法師の歌「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」に感銘を受け、その精神を心に染み込ませたという。

 「会社を継いで、労働や経営の厳しさや激しさに触れ、『何ができるかわからないけれども、何かの役に立っていきたい』。そういう気持ちが、今の仕事の根底に流れています」と話していたのが、印象的だった。

(了)

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