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青森・八甲田山で垣間見た「あの世との接点」(デーリー東北「私見創見)

青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から2カ月に1度のペースで書かせていただいています。本稿は2023年7月17日付から。スピリチュアリズム関連の記事、第2弾です。(※掲載時の内容から一部、変更・修正している場合があります)

(※扉の写真は毛無岱からみた八甲田大岳©️vivaships:noteより)

 最初は自分だけに聞こえたのかと思った。中学3年生だったから40年以上前の8月、お盆前。八甲田山系の最高峰である大岳(標高1585メートル)に友人と登った。

 山頂まで無事に達し、少し下りて毛無岱けなしたいにある山小屋で1泊したのだが、台風の接近で途中から天候が急変。夕飯を食べ終わる頃には風雨が強まり荒れ始めたので、早々に山小屋の寝台に横になった。

 我ら以外に他の宿泊客が一人いた。最初は友人とワイワイと話していたが、夜が更けてくるとその一人客への気兼ねもあり、早めに寝ようと押し黙ってシュラフに潜った。

 その瞬間である。深い森ばかりで何もない小屋の周囲から男女ふたりが楽しそうに笑いあう声が聞こえてきた。だが外は暗闇で雨も風も強く、普通なら人が歩けない状況だ。

「なぜ笑い声が?」と耳を澄ました。ふたりの声は小屋の外壁に沿って1周して入り口に向かう。その入り口にある木製の階段を彼らが昇ってくる足音がした。内外2枚ある入り口の引き戸のうち外側がガラガラッと開いた。

 まだ寝入っていない時間だった。「おい今、誰か来たよな」と友人が口にした。「ああ来た、音がしたよ」を自分も答え、おそるおそる内側の引き戸を開けてみた。

   だが、誰もいなかった。

 15歳の少年達はそれだけで恐ろしく、その後は皆おとなしく寝静まった。青森県民なら誰もが知る「死の雪中行軍」があった八甲田山だ。「幽霊くらいいるかもなぁ」とは思っていたが、今思い返しても妙にリアルな声と音だった。これが自分にとって最初の「霊とのふれあい」である。

 といっても普段は全く霊的には鈍感だ。逆に神経が太過ぎて配慮が足りずに怒られることも多い。霊感はたぶん皆無で、見えない何かに囚われることもない。

 ただ前回、本欄で書いた拙稿でも触れたが、人は死んだ後も「霊体」が実存として残り幽界に留まる。自身で「自分は死んだのだ」と自覚して1つ上の段階に進むまでは、いわゆる成仏できない霊として幽界最下層をさまようという。

 これは単なる伝承ではなく、霊界からの通信で死後の世界を明らかにしたスピリチュアリズムも認めている。特に成仏せずにさまよう霊は、今まで生きてきた物質世界=地上にごく近い界層にいるため、生前の自分と同じ欲望=波長を持つ人間に近づいて取りきやすいという。

 例えば自殺した人は、死んだはずなのに自分の霊体が実存しているのが苦しくて、同じような自殺願望を持つ人間に近づき、再び自死を遂げようとする。強欲にまみれて死んだ者が自分の死に気づかないと、同じような強い欲(金銭欲や色欲など)を持つ生きた人間に近づき、飽くなき欲の追求に走る。それが事件や事故を起こす。そういうことが多いらしい。

 「科学的でない」との声も聞かれそうだが、人の死ひとつ解明できていないのが物質の世界のみを扱う科学の限界だろう。唯物史観の人ほど自分の死を自覚するのが後れ、幽界で地縛霊となり、何をしていいか分からず自身を持て余し続けるという。

   また地上の既存宗教の教えに凝り固まった人も、霊界の正しい姿を認識したがらず最下層に滞留しやすいとされる。

 毛無岱の山小屋で幽霊体験をした翌朝に友達と撮った写真はその後、交通事故で片目を失って以後に「(霊感が高まり)いろいろ見えるようになった」という先輩に判断してもらった。そう見ようと思えば見えなくもない男女の顔が寝台の側面に写っていたからである。やはり「おはらいをしてもらった方がよい」と勧められた。

 当時は霊感もなく無邪気で欲もなかったから八甲田から男女の幽霊をつれてこなかったのだろう。欲の皮を突っぱらかすとロクなことがない。人に優しく、我執を抱かず、肉体の欲求に囚われない――。凡人には難しいが、お盆を前にそんなことを思い出す。

(※初出:デーリー東北紙コラム『私見創見』2023年7月17日付、社会状況などについては掲載時点でのものです)

(了)

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