見出し画像

その視線は誘導するのか、誘導されてるのか

こんにちは。朱門です。ちょっと時間が開いてしまいましたが、ネタが切れたわけじゃないです(笑)このnoteを通じて伝えたいなと思ってること自体はぼんやりとですが、まだまだあるのでご安心を。

今回はなぜか最近よく聞くようになった「視線誘導」について自分の考えを書き綴って見たいと思います。

視線誘導

数年前までは視線誘導って言葉自体、ある程度の上級者じゃないと言葉すら知らなかったんじゃないかと思いますが、最近はかなり浸透したようで、あちこちで視線誘導の説明をみたり聞いたりする機会が増えたように思います。
自分自身もセミナー等では構図を決めるときや、RAW現像時のテクニックとして視線誘導・リーディングラインの説明したことはあるのですが、どちらかというテクニカルな内容になってしまっていたと思います。

確かに、写真を見た瞬間に視線が散らされるような写真、最初の注視ポイントがはっきりしない写真はあまり良くないかなと自分では思っていて、すっと心に入り込み、没入感を生み出すためには、リーディングラインから始まる視線誘導はとても重要だと思うのですが、それを狙って撮るというのは何かが違うなぁと思ったりも。

誘導するのか誘導されたのか

そもそもの自分が写真で表現したいことの原点に立ち戻りますが、「自身が自然風景を見て感じた感動を写真を通じて伝えたい」と思って撮っているので、実際に自分の目で見て感動してないとシャッター切れないことが多いです。(実際はシャッター切るけど、たいていはボツ)このことは僕がドローンで作品撮れない理由にも繋がるんですが、話が大きく脱線しそうなのでこの話はまた別の機会に(笑)

じゃあ視線誘導どうするの?ってことなんですが、心が震えるような場所にいると、自分は自然とどこかを注視して見ている気がするんですよね。もちろんぼんやりと全体を見渡したりもしますが、「うっひゃー」「うぉおお」って思ってる瞬間、無意識にどこかに視線を引っ張られているんじゃないかと。
つまり、自然風景に視線を誘導されているのであって、僕がその場で自分の視線を意識的にはコントロールはしてはない。

この感覚を写真を通して再現するにはどうすれば良いかと考えると、「自分は何を見て感動したのか(構図)」「フレームの中のどの部分に注視していたのか(視線)」という点に立ち戻ると、撮影時や、現像レタッチ時に何をすべきかが自ずと見えてくるのでは?と思います。

撮影時に意識すること

自分でもよくあるんですが、「ものすごい綺麗なんだけど、どう切り取れば良いか分からない。。」ということがあります。
実際、ほんとにどうしようも無い場合は自分のスキル不足として割り切ってカメラを置いて、その場を自分の目で記憶する方に集中しちゃうこともあります(笑)。
でも、なんとかして撮りたいと思う時は、あれこれ試行錯誤しながら構図を考えてます。その時に一番重要だなと思うことは、

ここから先は

862字 / 3画像
この記事のみ ¥ 420

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?