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2月3日


ぼくはArakezuriというバンドを組みました。
ライブハウスで歌を聴いてもらいました。
2月3日、ちょうど4年前のことです。

2016年、ずっと続けてたバンドを解散して
ぼくはひとりになりました。
それでもまだバンドをやめたくなかったのです。

その解散ライブの打ち上げに来ていた「石坂亮輔」は学生時代から交流があり、そいつのことが後になって気になりました。

ぼくは直感的に、こいつとバンド組めたらおもろいかなぁなんて軽い気持ちで連絡しようと思った。

ところがどっこい石坂はギタリスト。
漠然と3ピースバンドが良かったぼくは、歌いながらギターを弾きたいのです。
だから、LINEでたった一言送ってみました。


「ベースって好き?」

バンドやろう、の前にまずはベースが好きなのかどうかを確認。好きやで、と返ってきたので
ベース弾いてくれへん?と聞いたところ、すぐさま


「ええやん」


こいつだ、と思いました。


その後、ぼくがはじめてバンドを組んだ時のドラム上林龍平を誘い3人でArakezuriは始動。

仕事との両立が難しくなった上林は、やがて脱退しふたりになりました。

そんな中ぼくは、ひとり減ったのにも関わらず
4ピースバンドをしたいと言い始めました。
ごめん。

当時ベースだった石坂は、ギタリストに戻りました。はじめからそうしておけよ、って?
ほんまそれな。


前任バンドのサポートベースをしてくれていた「宇野智紀」は気のしれた後輩(当時)だったので、
ぼくはもう一度サポートしてくれと頼みました。


Arakezuriとしてはじめてスタジオで合わせてみた時、こいつこんなに良いベース弾くんやっけ?と驚いて、そのままメンバーにしてやろうと考えていました。


そして、石坂の大学の後輩「椿佑輔」と出会います。
3ピース時代の無料音源「此処にいる」を聴いてくれて、めっちゃイイっすね〜と言ってくれて話に花が咲いてたらしい。諸説アリ。

そっからなんやかんやあって(詳しくは知らない)
サポートドラムをしてもらうことになりました。
あの曲をイイって思えるなら絶対ええ奴やろ、とか自信持ってました。

この4人ではじめて曲を作ってみる。
「夏暮れ」でした。

あ、めっちゃええ感じやん。なんだか不思議とバランスええな。この4人でバンドやろうよ。

半年が過ぎたとき、知らん間に2人は正規加入していました。ビビった。(知らん間には盛った)

ていうか元々、サポートメンバーとして接していなかったけれど…


結成4年、現体制2年半

この4人じゃなきゃ絶対にダメだっていうよりも
この4人で絶対にやっていきたいって感じです。

俺が選ぶので、これが正解です。

満を持して、2021年3月 全国リリース。

これからArakezuriは始まっていきます。
というかもう、始まりまくってます。

バンドがめちゃくちゃ大好きで、
どうしても辞められなかったぼくのお話です。


俺は、ぼくを救いたいから諦めないのです。
負けないし、踏んばるのです。

きっと貴方も、あなたを救うために諦めないぼくの仲間です。
負けないように、踏んばっていきましょう。
俺もがんばる。


それでは本題に入りますが、

節分は毎年、2月3日やと思ってだけど
今年は2月2日やったのね。
ややこしいからやめてほしいよね。
だから、ブログ始めました。

おやすみ

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