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楽しむためだけに、毎日英語を勉強している
英語学習を習慣化し始めたのは今年の春頃からでした。今回のnoteは、「#想像していなかった未来」というテーマに沿って、自分が英語学習に取り組むようになったきっかけや、「何者かになる」ためでなく「自分が楽しむため!」という英語学習についての思いを書いてみました。
勉強は「何者かになるため、しっかりした人間がやるもの」だと思っていた
私は「大人になっても勉強するなんてとんでもない」「素晴らしいことだけど、私にはできない」という考えの持ち主でした。そもそも勉強は、受験・資格試験など、「何者かになるため」にやるものだと思っていました。
私自身の勉強に対する意欲は大学受験時がピーク。在学中の英語の講義も「単位を取れればいい」という意識で受けていました。
受験が終わった時も、単位を取り切った時も、これで「勉強」から解放された!と喜んでいたくらいです。
また、独身時代から、普段の生活も「しっかりしていない」方でした。休みの日は10時まで寝て当たり前。運動の習慣も続かない。毎日やるほどの趣味もなく、ダラダラとスマホを見て、楽しそうだな〜と思ったものをフラフラやって、飽きたらやめる。
子供が生まれてからも、仕事以外の時間があるときはSNS、ドラマ、子供と一緒にお昼寝…と慌ただしさを言い訳に、のんびり過ごす日々。子供の宿題を見ることになるだろうな…くらいは想像していましたが、大人になって「勉強する」なんて考えてもいませんでした。
子供の入学による「強制早起き」で全てが一変
今年の春。子供の登校時間の関係で早起きしなくてはいけないことになりました。「毎日朝5時に起きる」という私にとっての一大ミッションが発生。前述したように、「とにかく寝ていたい…」というタイプの私。ですがそのせいで子供を遅刻させるわけにはいかない…!
早起きを習慣づける方法を調べて実践して、なんと、1ヶ月間早起きを続けることができました。その後も継続することに成功。同時に、朝起きた時のスッキリした心地よさや、「人って変われるんだ、私も変われるんだ」という実感を得ます。
そしてある朝。「もしかして、娘が起きるまでの空いたこの時間で、勉強とかできるんじゃない?」と何気なく英語の単語帳を手に取ったのが始まりでした。
無理に覚えようとせず、ただパラパラとページをめくって、「ふーん」と読む程度です。4日くらい繰り返していくうちに「これ昨日やった」「あ、これも昨日やったやつだ」という単語が出てきて、「単語を覚えている」という実感がジワジワと湧いてきました。「同じ朝の景色だけれど、昨日知らなかったことを、今の私自身は知っている」ということがひたすら楽しく、子供の頃のように嬉しくなりました。
この頃から今現在まで、毎日の英語学習が続いています。一時期はTOEICのために試験対策として勉強していましたが、今は単純に「楽しむため」だけにやっています。
TOEICも受けました。日曜の雨の日。試験が終わった後にまず頭に浮かんだのは「これで勉強から解放される!」ではなく、「これで新しい教材をできる!」ということでした。以前の自分とは変わったのが分かりました。
「受験のために」「単位のために」引っ張られるように勉強していた過去の私。今は「ただ自分が楽しいから!」とそのワクワクだけを原動力に勝手に走っていく人間になりました。
「英語を楽しみたい」は以前から降り積もっていた
思い返してみると、「英語を改めてしっかり学びたい」という気持ちは、自分の中に常にあったように思います。
大好きな映画監督の、最新作の日本公開日がなかなか決まらなかったときの焦り。
好きな俳優のインタビュー動画に字幕がなかったときの悔しさ。
自分の子供の発達を通して「言語学」の本を読んでいるときのワクワク。
子供用の英語教材を探しているときのときめくような羨ましいような気持ち。
ネガティブなものからポジティブなものまで、英語に対する些細な気持ち一つ一つは積もりに積もって、気づいたら大きな山になっていたようです。そこに「強制早起き」の習慣で、霧が晴れて見えるようになったのだと思います。
今はその山を冒険することを、ひたすら楽しんでいます。
映画のセリフで、文法解説で読んだ文章がドンピシャで聞こえてきたとき。
子供用の絵本を読んでストンと意味が頭に入ってきたとき。
洋書で見たことも聞いたこともない新しい単語に出会ったとき。
高校で習った曖昧だった「接続詞」の解像度が上がっていくとき。
うまく言えない単語の、独特の発音方法を身につけたとき。
どれもが本当に楽しくて、勉強の「結果」だけでなく、「目的」になっています。
「何者かになれなくても」人は少しずつでも変われるし、変わっていい
「早起きなんて無理」「大人になって勉強するなんてできない」「勉強は資格とか検定のためにするもの」と考えていた自分は、もう変わらないと思っていました。だけど少しずつ変わっていきました。
早起きは工夫でなんとかできるようになるし、大人ならではの勉強の楽しみ方がある。「合格」や「高得点」のためだけじゃなく、「楽しさ」のために勉強したっていい。今はそんなふうに考えています。そして、noteやXでの投稿を通して、それらを発信することも楽しいと感じるようになりました。
もうすぐ2024年も終わりを迎えますが、来年2025年はどんなことを学ぶのか、どんな自分になっているのか、今から楽しみです。
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