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お前を記事にしてやろうか

お坊さんの説法を記事にし、投稿していいか確認に訪れた時の話です。プリントアウトした原稿をお渡ししたところ、住職は紙に穴が空きそうなほどじっくり目を通してくださいました。そして一言。

「”書ける”っていうのは、”認識している”っていうことなんです。私のあの時の言葉が、あなたの中にしっかり取り込まれたということがよく分かって、うれしいです。ありがとう」

「書く」とは「認識する」こと。自分の中で腑に落ちたこの言葉を、ことあるごとに思い出します。

さて、これまで13回にわたり周りの人をインタビューし、文字にしてきました。書くこと・聞くことを練習するべく始めた試みでしたが、腕を磨くことだけにとどまらず、自分自身の考え方にも影響を与えているように思います。
面白いことに暮らしの節々で、インタビューした人の言葉を思い出しては、その人の気持ちになりきって動くことが増えたのです。『あの人はああ言っていたから、真似してみよう』『あの人流に考えれば、多分私は間違ってないな』というような具合です。

例えば、新しいことを始めたものの、ちょっとしんどくなってきた時。『元バイト仲間の前原さんだったら、そこで出会った人と関係性を深めようと、もうちょっと続けてみるんだろうな』と思い、諦めずに頑張れました。


例えば、ギャラリーの中根さんや父親の言葉。30歳を目前にワーホリに来ると、出会うのは自分よりしっかりした若い人ばかり。度々自分の幼稚さに焦りを感じますが、そんな時に思い出すのです。『一人前になろうと焦らなくていい』『謙虚に向上心を持って過ごすこと』。こういう言葉が、この場所で頑張るガソリンになっています。


ふとした拍子に取材した人たちの言葉を思い出したり、記事を書いている最中に『あ、これ今の自分に必要な考え方だ』と気付かされる。これがつまり「認識した」ということなのだと思います。
この試みを続けたら、私は協力してくれた方々の良い考え方を自分の中に取り込んだ、最強な人間になれそうです。あ、これは第1回目に友達が言っていたことだ。



次回より、ようやく、ようやくトロントでのインタビュー記事を上げていきます。トロントに来てからというもの、人への興味は増すばかりです。出会う人すべて記事にしたい。「お前を記事にして、私の肥やしにさせてもらおう」。カオナシとかそういう類の妖怪になった気分です。
自分の肥やしに、そして協力してくださった方々の幸せを祈りながら書いていきます。引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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