Interview16/高い壁、どう楽しもう
えみこさん(トロント在住・高知県よさこいアンバサダー絆国際チーム代表・日本語英語学校経営者)
縁あって、私はトロントでよさこいチームに入り、
代表のえみこさんと仲良くなりました。
国籍の入り混じるチームをけん引しながらも、
よさこいを世界に広めようと、カナダに留まることなく
世界中を飛び回っているえみこさん。
その一方で日本語・英語教師の顔も持ち、
おまけに高所恐怖症でありながら
趣味はロッククライミングという、
字面の通りバイタリティにあふれる方です。
出会って間もない頃、
えみこさんがロッククライミングに誘ってくださいました。
高い壁を見上げながら、
「苦手なものに挑戦するのが好きなんだよね」と
爽やかに言っていたのが忘れられません。
爽やかながらも、感じ取れたその言葉の重み。
ご自身の半生を伺うと、壮絶なドラマが芋づる式に出てきました。
「神様は乗り越えられる試練(壁)しか与えない」という言葉は
えみこさんによく似合います。
(取材:2022年5月)
人生はいばらの道
えみこさん
今週は週4日、ロッククライミングジムに行ったよ。
――ストイック!! カッコいい趣味ですよね。いつから始められたんですか。
えみこさん
2016年。だからもう7年ぐらいになるかな。実は高いところが苦手なくせに、7年も続いてる(笑)。
――高所恐怖症なのにロッククライミングって、あまり聞かないです。前に「苦手なものに挑戦するのが好き」っておっしゃってましたよね。そういう人もいるんだなあって……(笑)。
えみこさん
なんと言うか……いばらの道を歩くのが好きなんだと思います(笑)。人生、苦手なことはたくさんあるし、信じられないような辛いことが起きることもある。もちろん好きなことを伸ばすことも大事だけど、私の場合は苦手なことを克服することで、達成感が得られるし自信がつくことが多いかな。
――ロッククライミングからそんな哲学を。かっこいいです。長く海外に暮らしていたり、「語学学校教師」と「よさこいチーム代表」を両立されていると聞くと、いろんな壁があったんじゃないかと思います。これまでのことを聞いてもいいですか。
えみこさん
はい。私は名古屋で生まれ育ちました。中学生くらいの時に家庭の経済状況が悪くなってしまって、高校では学校に行きながら喫茶店や結婚式場でバイトしていました。大学受験の頃、父親の会社が自己破産して、試験前日くらいに突然、大学進学を諦めなくちゃいけなくなって。でも働く決断には至れず、それまでのバイト経験から、ホテルに学費を払ってもらい働くことでその費用を返す制度を使って、観光系の専門学校に通うことにしました。
卒業後は長崎にあるアミューズメントパークに就職したのだけど、働き始めてすぐに親会社が倒産・買収されて人がごっそり減り、その分残った人たちで18時間勤務、みたいな状況が続いて。それがあまりにきつくなり、今度は沖縄に引っ越して、北部にあるリゾートホテルや那覇市内の観光客向けのお店で働き始めました。趣味でダイビングのライセンスを取ったんだけど、縁あってアシスタントインストラクターの仕事をやったり、船舶免許も取ったり、ダイビング以外のマリンスポーツとかパラセーリングにも挑戦したよ。沖縄に来た人をおもてなしする仕事を3年間くらい続けてたかな。
――早速いろんなことが起きてますね……。勝手なイメージですが「学生時代に英語や異文化が好きになって、海外に関する仕事に憧れを持った」という流れが一般的なのかなと思っていました。そういうわけではなかったんですね。
えみこさん
まったく! 海外に興味を持ったことはなかったし、英語も全然しゃべれなかったの。きっかけは、沖縄で働いてた時に、ロンドン育ちの日本人のお客さんがダイビングショップに来られて、その方と仲良くなったこと。
その後イギリス行きの航空券が安くなったタイミングがあって、その方に「今がチャンスだからイギリスに遊びにおいで」って誘ってもらったの。仕事は冬の閑散期だったからお休みが取れました。それで結局ロンドンに1か月くらいいたかな。その方はいろんなところに連れ出してくれたの。パーティー、ファッションショー、ミュージカル、美術館……。友達もどんどん紹介してくれて、英語が全然分からなかったくせにすごく仲良くなれたのね。それでその旅の最後に、偶然きれいな夕焼けが見えて、その時自分に誓いました。「この夕日をまた見る時は、自分がちゃんと英語をしゃべれる人になろう」って。1か月間、ほとんど何も話せなかったから、だから次会う時にはちゃんと一人前にしゃべれる人になろうと心に決めて、帰国後は留学に向けてお金を貯めました。
帰国後もいろいろなことがありました。身近にいた大切な人が亡くなったこともあって、留学への決意はさらに固まりました。その人は心を病んでしまって、ある日突然いなくなってしまったんです。「生きてるとこういうことも起きるんだ」と本当に衝撃でした。ショックだったけど、当時付き合っていた彼が精神的にもサポートしてくれて、その彼も海外好きで留学したいと思っている人だったから、自然と留学の話も増えて、元気になるほどに留学への気持ちも強くなって。それで2人でオーストラリアのブリズベンに10か月間留学しました。
――大学受験の断念、就職先の買収、沖縄への引っ越し、イギリスへの短期旅行、大切な人の急逝、そしてオーストラリア留学。本当にいろんなことを経験されたのですね。恋人と行く留学ってどんな感じだったんでしょうか。
えみこさん
恋人同士で行ったものの、お互い勉強に集中しようと、語学学校もホームステイ先も別々にしました。だから全然デート感覚ではなかったかな。当初私は英語が全くできなくて、学校は一番下のクラスからのスタートだったの。せっかくお金を貯めて留学に来たんだからしっかり勉強したいと思って、日本人以外の友達をつくったり、留学の途中に日本人の少ない学校に変えたりしました。学校を変えた頃には上の方のクラスに入れるようになったかな。
――英語ゼロからのスタートで、短期間で登り詰めたなんて、すごく努力されたんだと思います。どんな風に勉強していたんですか。
えみこさん
私は何と言うか子どもみたいに、言われたことを吸収して、それをどんどん使ってみることで、英語ができるようになっていったかな。
あと、学校でできたドイツ人とフランス人とスペイン人の友達7人と、一軒家を借りて一緒に暮らしたこともいい学びになりました。西洋系の子たちは週末友達を呼び合ってパーティーするのが当たり前だったり、お皿とかをなかなか洗ってくれなくて喧嘩したり。英語だけじゃなく、文化の違いも学べた。そうして8か月目くらいには、一番上のクラスまで行きました。
――やっぱりどんどん実践していくことが大事なんですね。日本語学校の先生になろうと思ったのはなぜですか。
えみこさん
通っていた語学学校で、世界中で英語を教えているイギリス人の先生に出会ったことがきっかけです。その人を見て、語学教師って世界中で働けるんだと興味が湧いて。私は高校生ぐらいの時から、旅をすることよりもそこに住んで人の生活を見ることが好きだったから、その先生の働き方が素敵だなって思ったの。
それでオーストラリアから帰国後、今度は日本語教師の養成学校に通い始めました。日本語学校のボランティアもやりつつ、近い将来海外で暮らすことを見据えて、愛知万博、スターバックスコーヒー、人生経験のためにホステスの仕事とか、バイトをいくつも掛け持ちしていました。ほんともう、空いた時間にひたすら働いてた。
――日本語教師っていう夢を追いかけながらいろんな仕事をするなんて、タフですね。カナダ生活はどのように始まったのでしょうか。
えみこさん
スターバックスコーヒーで働いてた時、カナダ人のお客さんと仲良くなって、カナダに遊びに来ないかって誘われたのがきっかけ。本当は香港とか英語が使えるアジア圏に引っ越そうと考えていたのだけれど、その頃に、それまで家族で介護をしていた父親が癌で亡くなり、「”気分転換に”3か月くらいワーキングホリデーしてみるのもいいかな」と思ってカナダに来ました。それでトロントに来たら、たまたま入った日本食レストランで働かせてもらえることになり、結局そのまま13年間トロント暮らし。その間に、日本語教師の仕事やよさこいを始めました。
――ここでよさこいが入ってくるわけですね。よさこい自体はいつから始められたんですか。
えみこさん
2005年に地元の名古屋でよさこいチームの代表だった友達を手伝うかたちで始めたのがきっかけです。その後、カナダにきて2年目にホームシックになった時に「ダンスショーでよさこいを踊りませんか」という広告を見て、カナダのダンスチームに入ったの。数年後にはそこで踊りを教えるリーダーみたいになって、もっと本格的にやりたいなと思い、当時の代表に相談して2人で、「桜舞」というよさこいチームを立ち上げました。
――チーム員だけに飽き足らず、リーダーになってチーム立ち上げまでしてしまうのが、えみこさんらしいような。
えみこさん
そうかな(笑)。その後2012年には、日本語教師の仕事の都合で今度はポーランドに引っ越しました。ポーランド語は分からない、知り合いもいないという環境だったから、まずは友達をつくろうと思って、引っ越してすぐ「桜舞」の支部「桜舞ポーランド」を立ち上げました。現地で出会った日本人の留学生と2人で。
そうしたらびっくりするほど「桜舞ポーランド」が注目を集めて、たくさんの素晴らしい機会に恵まれました。立ち上げ2年目に、安倍元首相ご夫妻がポーランドに来て、ご夫人の前で踊りを披露させていただきました。それが大きな反響となって、その後次々とイベントのご依頼をいただき、気づけば「桜舞ポーランド」は、ポーランド内に3拠点3支部を構える大きなチームになりました。
――破竹の勢いですね。イギリス、オーストラリア、カナダ、ポーランド。特にポーランドでのトピックは華やかに聞こえます。
えみこさん
うーん、でも、人生観が変わるような辛かったこともポーランドにいた時に起きてしまってね……。具体的な話はできないのだけど、自分の人生だとは思えないようなことが起きて、本当に辛かった。そんな時親身になって助けてくれたのが、よさこいのメンバーでした。
――自分でつくった居場所、そこに集まった仲間たちに救われたのですね。
えみこさん
本当にその通り。当時はもう、生きていることすら辛かったけれど「私がもし今道を間違えたら、それを止められなかった皆が後悔するな」と思ったの。だから「辛い時期に手を差し伸べてくれた仲間たちに、これからは何か恩返しをするために生きてみよう」強く思うようになりました。
恩返しの時が来た
えみこさんそうしたら2016年に、東京オリンピックに向けてよさこいを世界に広める「よさこいアンバサダー」になりませんかとお話を受けたの。アンバサダーとして、発祥の地・高知でよさこいを学ぶプログラムに参加させてもらいました。伝統的なチームの地方車(【じかたしゃ】音声設備を詰んだトラック。チームによって装飾が異なり、チームのシンボル的役割も担う)に乗せてもらったり、チームに入って踊らせてもらったり、観客としてお祭りを見たり、審査のお手伝いをしたり。
その体験にものすごく心が揺さぶられて、「ポーランドの子たちを、本場のお祭りに連れてきたい。町全体がよさこい祭りになる様子を見せたい」と思った。同時に「これが私ができる恩返しだ」って思いました。
――新しい人生を歩もうと覚悟を決めてからはじめて、自分がやるべきことが見えたんですね。
えみこさん
そう。「恩返しする時がきたんだ」って。その後は永住権の都合でトロントに戻って日本語教師の仕事をしながら、よさこいの仲間を高知に連れて行くプロジェクトに力を入れていきました。それで2017年にポーランド最大級の日本祭りで、高知でお世話になった『帯屋町筋(おびやまちすじ)』さんという伝統的なチームの作品をみんなで披露しました。
2018年には世界12か国63名のメンバーで「桜舞ポーランド国際チーム」として初めて高知のよさこい祭りに参加しました。私たちのような国際チームはよさこいの歴史の中では初めてだったこともあり、チームはまた話題になりました。メディアに取り上げられることが増えて、ありがたいことにご支援してくれる方も年々増えていきました。
――不運にも見舞われている中で、何度も返り咲きをしているのが、ただただかっこいいです。
えみこさん
辛いことがあっても、全力で支えてくれる人がいたからだと本当に思います。出会った人はずっと大事にしたいから、日本でもトロントでもポーランドでも、どこかに行くときは必ずお世話になった方や仲間たちに連絡をして、会える人全員に会うようにしてるんだ。そうして直接感謝の気持ちを伝えようと動いていると、いろいろなありがたい機会が舞い込んできたり、偶然の出会いや思いがけない再会なんかも多くて。結局人と人とのつながりが、いろんなことを引き連れてくるなって思います。
これからも頑張りたいことはやっぱり「恩返し」。人生を豊かにしてくれた人に、恩返しがしたいです。
ーー今後のことを聞いてもいいですか。
えみこさん
まさに今、2024年に大阪で開催されるお祭りに、海外のいろいろなよさこいチームが参加できるように、少しずつ準備を進めています。世界中の人が参加できるようなお祭りを作りたい。大阪の方々と一緒に動いています。
それからこれは個人的な目標で、いつか高知の人を海外に招待して、海外でよさこいのお祭りを開きたいなって。今度は私たちが、皆さんをにおもてなししたいです。
誰にとっても
生きることは簡単じゃないと思います
――世界を舞台にした目標、すごくかっこいいです。今日お話を聞いて、えみこさんの人生に比べたら、私が経験した辛かったことは、なんだかちっぽけだなあって思いました。
えみこさん
いやいや、そんなことないですよ! 辛さって人それぞれですし、大きい小さいじゃないから。一人ひとりが違う問題を抱えていて、生きていくことは簡単じゃない。いろんな人生があるけど、私が思うに生きてくうえで、不幸にならなきゃいけない人は誰もいない。私の場合はいつも、苦手なことだらけの人生をどうやって楽しんでいくかを考えています。
――ロッククライミングでも、どう登るか、次はどこに手と足を置くかを考えている時のえみこさん、楽しそうでした。
えみこさん
あはは、確かに。通じるものはあるかも。偉そうかもしれないけれど、苦しい状況でも、諦めなければなんでもできるってことを見せられる人になりたいです。……ごめんね話が長くなっちゃった!
――いやいや! ネタが尽きることなくてびっくりしましたが…(笑)。これからもいろんなドラマ、聞かせてください。
えみこさん
訳が分からない人生だけど楽しいよ。今日は話を聞いてくれてありがとう! 日本に行くときは、絶対声かけるからまた会おうね。
(おわり)