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002# 夢を叶える

2回目の投稿は「夢を叶える」について。

最近、” 有言実行 ”がいかに難しいかを考えさせられます。


ぼくのこれまで叶えた夢をざっと書き出してみます。

  • 一級建築士になる(中学生)

  • 一級建築士として自分の会社を設立する(中学生)

  • 24歳で結婚する(高校生)

  • 中日ドラゴンズを応援するために名古屋の大学へ行く(高校生)

  • 名古屋工業大学工学部建築・デザイン工学科へ進学する(高校生)

  • ナゴヤドームでバイトする(高校生)

  • きっちり4年で卒業する(大学入学時)

  • 学部で卒業して就職する

  • 一級建築士の試験はイッパツで合格する(入社時)

  • 30歳までに独立する(入社時)


” 24歳で結婚する ” 以外は達成することができましたかね(笑)


こうやって振り返ったときに、夢を叶えるのってそんなにハードル高くないんだな、って思います。

でも、今思うとそう感じるだけで

当時はそれなりに苦労してたんだなーと。


たとえば、大学受験。

僕のいた高校は「 京都市立西京高等学校 エンタープライジング科 」っていうところで、京都の公立高校では ” 御三家 ” って呼ばれる進学校だったんですね(自分で言うの恥ずかしい)

そんな高校なので、もちろん入学して最初に言われることは

「 全員、京大へ行け! 」

、、、、なんですよ。ドラゴン桜の京都版みたいな(笑)

そんな高校なのに、プロ野球球団の「中日ドラゴンズ」が好きなだけで

名古屋の大学に進学しようとするやつがいたら、そら担任の先生もびっくりしますよねw

高3担任の先生「 そんな理由で大学は選ぶもんじゃないで? 」

もちろん、こう言われたわけです。


でも僕の意思は固いわけですよ。なんせ当時は熱狂的なファンなわけですから。

意思は固くても、学力が全然足りなかったんですね。

進学校なのに、高校生活でほとんど勉強せずに漫才・コント・バンドに注力してたので、学力は常に最下層。。

高3秋の体育祭が終わるまでほとんど受験勉強しなかったわけです。笑

そしていざセンター試験が近くなると現実にぶち当たりました。


「 このままでは名古屋へ行けない。。」


模試で志望校のA~E判定があったんですが、常に「D判定」

合格する可能性は20%以下。

このままだとまずい!!


そう思ってなんとかすべく、人生で初めて自分で塾を探すことにしました。

そしてはじめて、親に頼み込みました。

「 名古屋へ行くために塾へ通わせてください!! 」


そうやって10月くらいから本格的に勉強しはじめました。そこからは、勉強する環境をつくることに貪欲になりました。

高校の近くに父親の実家として空き家があったので、そこに勉強机を置いて
終電まで勉強してみたり、

朝早く高校に行って、使ったこともない自習室を使ってみたり

当時は、ただがむしゃらに環境を変えようと必死にもがいてみました。


でも結局迎えたセンター試験ではボロボロで、判定は変わらずD判定。


センター試験のストレスで全身に蕁麻疹が出たりしました。
追い込まれすぎて。

もっと悲惨だったのが、すべり止めの立命館までも落ちてしまったこと(笑)

立命館、落ちるのか!!! と自分自身に呆れ果てましたねw


そんな状況で、いざ国公立の試験を前に担任の先生に志望校を改めて聞かれるわけです。

さて、どうする? 夢をあきらめるのか、背水の陣で必死に頑張るのか。

もちろん後者です。


当時のぼくに浪人の選択なんてありません。

親にも聞かれました、「あんた、それ落ちたら浪人やけどどうすんの?」


ぼくはこう答えました。

「 絶対受かるから大丈夫。 」


18歳の根拠もない自信です。笑


そこからさらにギアを上げて勉強にいそしみました。

もちろん、結果は合格。

夢を叶えた瞬間でした。


結果的に最下位合格だったので、1点でも違えば落ちていたでしょう。

でもそれもまた面白い。入学してから卒業まで、同級生に散々イジられました。笑

いま思うと、他人からすると小さい出来事かもしれないけど
自分にとってはひとつ夢を叶えられたことだし、

夢を叶えることのよろこびを知った大きな瞬間だったと思います。


口だけ人間にならないように。

夢は叶えるためにあります。

さあ、四畳半からはじめよう。

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