小泉進次郎構文と分析判断、形式論理学

 小泉進次郎構文とは、政治家小泉進次郎氏による発言を参照して構文化された文あるいは文章の一形態である。

 我々の丁寧なインターネット生活において馴染み深いものとなった小泉進次郎構文。これはどのような仕組みで成り立っているのだろうか。私は手元にある拙い知識で、これをなんとか形式化して誰でも小泉進次郎構文が作れるユビキタスな社会への第一歩を提供したいと思う。

 まずは小泉進次郎構文の例を見てみよう。小泉進次郎構文bot(@NaminoBot)からの引用である。「もし大変な事が起きたら、大変な事態ですよそれは。 #小泉進次郎構文 」(https://twitter.com/nanimobot/status/1393189168717520899?s=21) この一例を扱いながら、小泉進次郎構文一般の仕組みを理解し、形式化したいと思う。

 前提として、タイトルにもある分析判断とはどのようなものか、対義語である総合判断と対比しながら説明する。これらはカントの区別であり、例えば「あの妻帯者は50代である。」という言明は、妻帯者という言葉が内包していない意味を「あの妻帯者」という言葉に付け足し、言葉の意味、我々の認識を拡張している。これが総合判断である。これに対して「妻帯者は妻を持つ」という言明は妻帯者という言葉が既に内包している意味を説明するという類の言明である。こういった言明を分析判断と呼ぶ。また、経験的判断の全ては総合判断であり、論理学における命題の全ては分析判断である。大雑把に言うと、我々の人生で経験して日常で自然に使われる言葉は総合判断が多く、論理的に(特に、演繹的に)述べる場合には分析判断が多いということだ。(ア・プリオリな総合判断という、必然性を持つ少し特殊な総合判断も存在するが、これについては一度括弧に入れてまたの機会にしようと思う。)

「もし大変な事が起きたら、大変な事態ですよそれは。 」という例は、この分析判断に値する。他にも同botによる「ストレートな言い方って、直接的なんですよね。 #小泉進次郎構文 」(https://twitter.com/nanimobot/status/1392063610394800130?s=21)もこの分析判断である。よって、小泉進次郎構文は分析判断という非経験的な判断をあえて口語で語る不安定さに由来するものであると言えよう。そして、その分析判断について多少の理解を得た我々は、既にそれを用いて構文を作ることができる。

 「ハンガーっていうのは、服をかけるのに使われる道具なんですよ。」

一応、形にはなっている。しかし、なんか、こう、インパクトが足りないし、構文にしては不自然感が足りない。これは、この後にまさに別の言明が続きそうだというニュアンスから来ているのではないか。その言明を以って私の発言は終わりだ!と感じさせるようなインパクトが必要だ。

「ハンガーってあるじゃないですか。あれって、服をかけるためのものなんですね。」

 それらしさが増した。適当なものを提示する→それに対して分析判断を行う→口語っぽく手直しするという手順でひとまず小泉進次郎構文は作れそうだ。

「中古品ってあるじゃないですか、あれ新品じゃないんですよ。 #小泉進次郎構文 」(https://twitter.com/nanimobot/status/1390247263998398467?s=21)

 うん、これも中古品という言葉に含まれた「新品でない」と言う、誰もが共有している意味を提示するという、非日常的な口語の分析判断なので形式に当てはまっていると言える。しかし、先程の二つの例とは違って否定系が入っているのにもかかわらず、トートロジー(言葉の単なる繰り返し)を感じさせる文である。この仕組みをうまく分解すれば、きっとバリエーションに富んだ構文が作れるはずだ。

 ここで、また別の枠組みを導入する。それは、形式論理学における基本概念、同一律・矛盾律・排中律である。

 同一律とは、「AはAである」と言う言明であり、たとえば「ハンガーはハンガーである」といったものである。言うまでもなく、日常におけるこういった言明はなんの拡張、理解も及ぼさない。矛盾律とは、「Aは非Aでない」という言明である。「ハンガーは非ハンガーではない」これも日常では意味の拡張をもたらさない。排中律とは「AはBか非Bのいずれかである」という言明である。「ハンガーは生物か無生物かのいずれかである」といったとき、これも意味の拡張をもたらさない。この三つの非拡張的な言明を以って、構文のバリエーションを生めるのではないか。「中古品ってあるじゃないですか、あれ新品じゃないんですよ。 #小泉進次郎構文 」という例文。これは矛盾律「Aは非Aでない」という形に当てはめられる。

 以上、カントから分析判断、形式論理学から同一律・矛盾律・排中律という概念を導入することで、形式的に誰でも小泉進次郎構文を作ることができるようなモデルを提示した。文章の繋がりにややこしさを入れないため、各タームの説明は端折った部分も多いが、哲学警察、論理学警察の方々にはジョーク記事という免罪符で許していただきたい。この記事が、ユビキタス小泉進次郎構文社会への第一歩となることを願って、締めたいと思う。

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