『共同体研究記』を読んで

僕が大好きな人はよく、 follow your bliss と言う。
予感のする方へ、突き進んでいく。

僕は最近予感に従うと、山菜をたべるし、裸足で歩くし、どこでも座るし、登りたければどこにでも登る。そんな時、頭でっかちでは得られない、理屈ではない高揚感が頭を支配する。
そうしている時、僕は環境と自分が優劣無く共存している感覚を得る。挑んでいるような感覚だ。自分と環境、ではなく自分も環境の一部なのだ。でもそれは、凄く瞬間的なものだったりする。僕が日本で普段の生活をしている以上、普段は分業化されたシステムに生かされて、環境・地球と僕とが点で同期してもすぐに切れてしまう。僕は今、しっかりと地球同期する場所を探している。ある人はアラスカだったし、川崎さんはオーロヴィルだった。僕にも、あるはず。

即物的になんでも便利になっていく世界では、どんどん不便が追いやられて行っている。そうなると環境と自分が等価であること、同期が認識しし辛くなってしまう。便利になった結果、自分の力ではないのに、傲慢にも自分は環境をコントロールできると思ってしまうから。
貨幣もそれを助長している。お金で解決できてしまうことが多いと、背後にある苦労にもやがかかってしまう。本来それを享受するのにどれほどの労力が必要かを想像することが難しくなってしまう。

僕には長期的な同期経験がないからこそ、無性に川崎さんがオーロヴィルで得た体験が得難いものだと思うし、非常に憧れるもので、僕が今追っている何か、そのものだ。こういった類の悩み?・思想を人生の軸に置くと、自分はどんな道に進むのか、進むべきなのかが全く分からなくて少し辛いのだが、それ以外では弱い人生になってしまうだろうし、焦らずゆっくり生きていこうと思う。



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