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【仕事】第一歩目、初めて働いた職場の話。

初めて就職した会社覚えていますか?
もしくは、今がその会社?
どうだった?
もしくは、今はどう?

辞めて良かった、後悔した、今最高!!など色んな意見が飛び交うでしょう。
自分は就職をして2年間は、研修だったので正直そこまで不満などありませんでした。そこまで業務に携わっていなかったので分からなったが正解か。

2年間も研修って凄くねって今では思います。多分今はやってないと思う。そんな余裕どこの会社もないでしょう。
研修は1年は職場研修、もう1年は専門的な研修を行いました。
あ、因みに工場でのお話です。

1年目の研修

1年目は職場研修で、工場の中に沢山の部門があり1年を通して各部門を約2ヶ月毎に回り、会社の業務の流れを経験する研修でした。そして2ヶ月毎に各部門で経験したことを発表する報告会がありました。
工場なので、組立、梱包、テスト、加工、検査など色んな経験をすることが出来ましたし各部門で良くしてくれる先輩もいて、新入社員ながら会社での社員の関係も出来て良かったと思います。会社の事を知るって案外難しいと思いますが、この研修であの部門はどんな事をしているのか知れましたし各部門の偉い人の事も知れるので良かったと思いました。

2年目の研修

2年目は専門的な研修で、この時点で部署配属が決定しており部署で必要なスキルを学ぶようになっていました。基本的な研修も行いました。
研修初日は、いきなりですが・・・「声を出す訓練」「起立・気を付け・礼・着席、訓練」。今思うとブラック企業かよと思います。あまり多くは話しませんが、
「声を出す訓練」ではポジティブな事(セリフは決まっている)を全力で声を出し・・・というか叫び、研修を行う講師にOKが出るまでやり続ける。喉から血が出るんじゃと思いました。
「起立・気を付け・礼・着席、訓練」では掛け声担当を決め・・・これも自分がやりますって言わないといけない雰囲気。やる気がある事をアピール的な。そして軍隊みたいに掛け声に合わせて皆の動きも合わせる。そして合うまで、やり続ける。「気を付け」の際、太もも横に手を叩きつけて「パァン!」と音を出す。これが痛いのよ・・・そしてこれが揃わない。次の日ビックリ、太もも横が青くなってアザみたいになってた。因みに、研修の初日にやったけど、入社の時もやった記憶がある。「またやんの?」って。

この研修は意味が分からなかった。確か2年後くらいにやらなくなった気がする。令和の時代でこういう研修をしている企業はもうないと思いたい。
訳の分からない過酷な研修って、

同期と研修を乗り越えることで仲間意識を芽生えさせ、今後横の繋がりを持たせることにより辞めさせない様にする。思考を停止させ、洗脳する。

言葉が悪いですがこういう感じでしょう。因みにブラック企業ではなかったですよ?最初の研修が異常なだけ。

その後は、製図、CAD、機械加工、測定、シーケンス制御など色々研修を通して学びました。今ではそこまで細かく覚えていないですが、やれば思い出すと思います。結構好きでしたので。新たな同期とも巡り合えたのは楽しかった。


研修後~本配属

本配属した部署は自分みたいな若い人はいない部署。多分、研修を終えた新卒の人間が来るのは初めてだったんじゃないかな。そして慣れる事に必死で業務をしていった。業務をしていく中で自分の部署は東京出張がある。これは非常に楽しかった。1ヶ月の出張があり、土日は東京観光を楽しんだ記憶がある。本社は勤務時間が30分短いので1日が終わるのは早かったので勤務後も本社の年の近い新卒の人と遊んだりもした。
本社と地方職場では色々勝手が違う。最初は結構迷ったが、上司からこう言われた。

「郷に入っては郷に従え」

今でもこの言葉は働くうえで大事にしている。飲食で働いている時も店舗によって勝手が違ったりする。現在は派遣だが現場も様々。環境によって違うことが色々あるが、その環境に適応することが大事。そして慣れてやっぱこれは違うとなった時、徐々に変えていけばいい。いきなり変えようとすると、上手くいかないし元々いた人から「なにコイツ?」となることも。
まずは、環境に適応する事が自分の生きるコツ。

そして、働くうえで移動だったり上司が変わったりする事もある。私の場合上司が変わった。結論から言うとこれには適応できなかった。簡単にいうと気分屋。日によって調子いい時と悪い時がある。ついでに言うと自分の担当する業務はちょっと特殊で、業務の事を聞ける先輩が3人くらいしかいなかった。3人とも出張や育休で誰にも聞けない上に別部署とも連携しなければいけない仕事だったけど別部署の担当の人が詰めてくるタイプの人だった。あんまり記憶はないけど、ちょっと精神やられてたと思う。

そして、給料面、自動化で人が要らなくなる、他の業界に挑戦したいなど、言い訳を並べて辞める決意をした。

ただ本心は「逃げたかった」だけ。

石の上にも三年とかいうけど、20代の3年は大きいよ。この3年で本当に立ち直れなくなるほど削られたら大事ですよ。今でも思う。
「逃げる事の何が悪い?逃げ出したくなるような環境を作り出してしまうのが悪い。」と自分は思う。因みにこれは職場環境のお話で、ステップアップや家庭の事情といった事とは別。精神的なお話。
ただ、過酷な環境はリーダーだけでどうにかなる問題でもない。結局は人それぞれの相性だったり、仕事内容、その人の性格が起因してくる。
とても難しい問題で答えなんてないと思う。だからこそ転職して、自分に合う環境を探すことが大事なんだと思うけど、転職も人によっては面倒だったりメンタルがやられる人もいる。ましては、仕事が決まらなくて無職が長くなってしまう人もいる。難しい・・・ね。

辞める時の話

仕事を辞める時のお話ですが、過去にイベントで書いた記事もあるのでこちらも宜しければご覧ください。


辞める決意が出来たのはいつだろう。きつくて覚えてないや。
辞める決意をして上司に相談。やはり引き止めには合う。結果でいうと一度踏みとどまってしまう。会社を辞める事なんて初めてだったからやはり躊躇はする。ただ正直今の業務がしんどくて辞めたかった。予想は配置転換や部署移動これは良くある話だったので自分もそうなると思っていたが、言われたのは
「サポートするからもう少し頑張らないか?」
期待してなかった言葉。ただ現状が何か変わると思って期待してしまい頑張ろうと思った。だた何も変わらなかった。サポートもあってないようなものばかりで結局しんどくなって辞めたくなった。
今度は意思は固かった。何を言われても辞めると決めた。
上司との面談で辞めた後の話、次の仕事の話があがった。サービス業で働きたいと思っている事など話した。(働きたい会社も決めていた。)
出てくる言葉は、サービス業の悪いイメージの話。確かに予想は出来るものだが、上司はこの会社でしか働いたことが無いのになんでこんなに言えるのだろうと。上司が経験した話でもないのに。
「サービス業って土日も出勤で子供とか出来たら大変だぞ。工場なら土日休みで将来の事を考えたら辞めないほうがいい。」
これが一番印象に残っている。確かに、土日休みは予定も合わせやすくイベント開催も週末で行きやすい。上司の言葉も理解は出来る。
でも、自分の価値観とは違うと思った。今も土日休みではない仕事だがこれはこれで楽しい。なんなら平日の方が人が少なくて動きやすい。
平日休みを知らない上司にとっては、家族基準の話になってしまう。正直まだ自分は20代やり直しも効く。別の事を経験しないのはもったいないと、今でも思うことだし当時も思っていたと思う。
面談で上司の話も聞いていたが、辞める決意しかないことを押し通して退職届を貰った。
この後面白かったのが、面談が終わり作業に戻ろうとすると先輩方が寄ってきて「辞めるんか?」と聞いてきて「そうですね。」と答えると、
「若いから色々やった方がいいと。こんな所にずっといるよりも他行った方がいい。頑張ってな!!」
って応援をして頂きました。こんな時期に上司と面談=辞めるんやって考えていじってくるのは面白かったですね。

よくあるのはボーナスが支給されてから辞める人が多いと思いますが、自分は特にとういうことはせず、すぐに辞める手続きをして辞めました。
その後同期からは、辞めようか迷っている相談をよく自分に電話してきたりました。決めるのは自分自身だけど、辞める時の話や辞めた後の話を説明して参考になればと相談を受けていました。

最後に、

自分は次の職を見つけないまま辞めました。これは非常にナンセンスなやり方だと思います。働きながら転職活動をして退職するのがベストだと思います。一応は雇用手当があったので、手当で生活も出来ましたし辞めた後は実家に帰ってたので、生活苦になる事もありませんでした。

決めるのは自分自身です。辞めた後の生活が不安や次の転職先が不安なのも分かりますが、苦しい、しんどい時に辞める選択肢もあるという事も忘れてはいけないと思います。ただ、遅刻癖があって怒られて嫌になるなどそういうのは社会人として間違っているので、自分が改善できることはしていかないといけないです。

誰かの参考になればいいと思います。ありがとうございました。

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