たまにはこんな日記を書いてみる【日記?】
20241021-1027
日常は、思ったよりも淡々としている。
住む場所や仕事を変えてみたり、ありがたいことに新たな方法で出会った友人が増えたりしているからか、状況も感情も振り幅が大きくていろんな意味で忙しい時期が続いているんだけど、現在たまたまわたしが人生の中でそういう動きのあるフェーズにいるというだけで、本来日常そんなに大きく波打つものではないのだ。
「日記」という視点を知ってからのわたしは、そんな淡々とした日常を楽しむ手段を手に入れたように思う。
いや、「楽しむ」というのもニュアンスが少し違うのかも。もちろん毎日毎日楽しく過ごせるならそんなに素晴らしいことはないんだけど、楽しい日ばかりが毎朝自動的にやってくるわけではないし、最近の自分はどちらかというと不安を先に感じていることのほうが多くて。楽しんでいようが、不安を感じていようが、ただ淡々と生きるしかないのだ。そうやって生活は続いていて、ある程度の長さになったときに「人生」とかいう壮大な名前を持つようになるのだろう。
飽きずに生き続けるための手段であり視点、その中でも手の届きやすい一つが「日記」ではないかと思った。そしてこれは「鍛練」という言葉とも近いように感じる。
今思うと、日記を書く以前のまだ幼かった頃のわたしは、この日常の凡庸さというか退屈さみたいなものに全く耐えられてなくて、最初から全てに飽きていた気がする。もともとわたしは、毎朝同じごはんのお供で朝食を食べ続けられないくらいには飽きっぽい人間なんだよな。納豆ごはんを食べた次の日はなめ茸か、海苔の佃煮で白米を食べたいとかつい思ってしまう。
そんな人間だということをやっと自覚したので、最近は「続ける」よりも「飽きない」をテーマに動いてみている。「飽きない人生」というサブスクの無料お試し期間中、ということにしておきます。
「続ける」というのはすごい。ものすごい意志の継続、ものすごいパワーであり、同じことを続けてきた昨日までの自分を裏切らないという、ものすごいプレッシャーだ。わたしは何かを長く続けている人のことをめちゃくちゃ尊敬していて、初土俵からの連続出場記録を1631回まで伸ばして、ついに歴代単独一位になった玉鷲が大相撲力士の中でいちばんかっこいいと思っているし(…もちろん若元春だって相当カッコいいが)、同じ会社に30年以上勤め続けている自分の父親のことを大袈裟でなく、本当にすごいと思っている。
この父は学生の頃からずっと日記を書いている人で、実家には歴代の5年日記が5、6冊はあったと記憶している。同じラジオ番組をかれこれ15年近く毎週聴いていて、ついさっきも「またメール読まれてお風呂セットもらったよ」とLINEが来た。てきとうに返信しながら「この人は人生に飽きてなさそうだなあ、」なんて思ってみる。