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瀬戸忍者捕物帳 3-5
それから暫くのちに茜も帰ってきて、一通り八重から事情を聞いた。
「それにしても・・・虎吉くんの強さにも驚いたけど・・・あんたがまさか噂の忍者同心だったなんてねえ!」
八重はまじまじと皐の顔を見つめた。こうして見てみれば、ただのだらしのないヘラヘラした男に見える。
「ふふふ、よかったらお近づきの印にちゅっちゅでも如何ですか?」と皐は口をすぼめた。」
「あんたはそれしか無いのか!」と茜は皐のほっぺをつねって止めた。
「八重さん、皐が忍者同心だって事は内緒にしててくれる?バレると何かとややこしいからさ!」
「ああ、もちろんだよ!なにしろあんたたちはあたしの命を救ってくれたんだからね!」と茜の提案を八重は快く承諾した。
「さて、逃げた欣二さんは黒田さん達に任せましょう!この包囲網です。欣二さんが逃げられるとは思えません。」
皐はニッコリと笑いかけ八重を安心させた。そして、虎吉に倒され気絶している店の男達を縄にかけた。
「まあ、今回も一応こうやって解決できたんだけど・・・。皐、あんた最初っから今回の犯人はあの烏天狗じゃないってこと分かってたんでしょ?」
「はい。」と皐は茜の問いにあっさりと答えた。
「烏天狗は剣術の達人です。烏天狗に襲われた者は、さも無惨に斬り殺されています。」
茜は父の殺された時を思い出した。確かに無惨な姿で茜の父は発見された。
「なのに今回の烏天狗はなぜか脇差しで犯行を犯した。今の世の中は武士や同心、一部の民間人以外は帯刀は認められていません。それに対し、脇差しは取り締まりの対象ではありません。民間人であれば誰でも脇差しを持ち歩けます。そう、例えば欣二さんのような商家の人たちでもね。さらに今回の被害者は後ろから刺されたということですが、剣の達人である烏天狗が後ろから卑怯にも刺し殺すでしょうか?つまり、今回の事件に関しては、烏天狗の名を騙った模倣犯の可能性が高かった。もちろん、あの時点で欣二さんが犯人だという確証はなかったけど、あの狼狽ぶりからして、可能性としては十分に考えられた。そこで僕は・・・」
と、皐はさきほどようやく目を覚ました虎吉の方を見た。
「ああ。茜姐さん達がこの店を出て行く時、皐から店の人間全員に対しても警戒を怠るなということを言われたんだ。」と虎吉は答えた。
「そうだったの・・・。あたしてっきり皐がまた変なことを言ったのかと思ってた。虎の顔が赤くなってたからね。」
「あ・・・いや・・・それは・・・」と虎吉は言葉に詰まり、また顔が赤くなってきた。
「僕はそのあとただ単に、八重さんといちゃいちゃするいいチャンスじゃないですか!と言っただけです!」皐は満面の笑みで言った。
「ああそう・・・それだけのことで顔が真っ赤になる虎もどうかと思うけど・・・。」
「まさかあたしがちょっと抱き着いただけで気絶しちゃうなんて、思いもよらなかったよ!」と八重が虎吉の背中を叩いたとき、一同は大笑いした。
「う・・・うるせえな!」と虎吉は真っ赤な顔のままぶっきらぼうに言い放った。
「まあ、何にしても、今回の件が烏天狗じゃなくて良かったわ。事件も無事に解決できたみたいだし。」
しかし茜は複雑な心境であった。烏天狗の仕業ではなく事件も無事に解決できたのはいいが、それは言い換えると、本物の烏天狗はまだこの街に隠れていてのうのうと暮らしているかもしれない。なにより(皐の主張によるが)自分の父を殺したという烏天狗を早く捕まえたかった。
「そうだ、皐。」と不意に茜は皐の方に向きなおった。
「はい、なんですか?・・・あ・・・もしかして・・・また僕を縛る気ですか?」と皐は苦笑いした。
「縛られたくなけりゃ正直に話してくれる?あんたと父との関係はどういうものなの?」
「ああ、そういえば・・・そこのところはまだ話してなかったですね。」
ぽりぽりと頭を描いた皐はしばらく目を瞑って考えていたが、やがて口を開いた。
「実は・・・僕はかつて茜さんのお父さん・・・大助さんの岡っ引きとして働いていました。」
「え?あんたが?」
それはいままで茜が聞いたことのないことだった。まだ大助が生きていたころ、大助の手下の岡っ引きたちはよく屋敷に顔を出していたので、茜はその面々を覚えている。だが皐の顔は一度たりとも見たことがなかったのである。
「嘘つかないで!あんたの顔なんて一度も見たことなかったわ!」
茜は表情を厳しくした。
「はは、言われると思いました。何しろ僕の存在は非公表。こっそり雇ってもらってましたからね。やっぱり信じてもらえませんかね?」
「・・・あんた一体何者なの?あなたの戦闘技術、忍びの技術・・・とても普通とは思えない。」
「僕は・・・三年前の天下を分ける大戦の時、忍びとして戦いに参加していました。」
茜は驚いた。三年前の大戦とは、この島国全体が西側と東側に分かれ覇権を求め争った戦である。皐は今は20才くらいであるから、10代の時にすでに戦いに参加していたことになる。なるほど、ヘラヘラしてはいるが、この男が時折見せる胆力はそういった戦場での経験によって培われたものなのだと茜は理解した。
「戦が終わって、僕ら敗軍の忍びは路頭に迷いました。平和な世の中に兵士は必要ありませんものね。その時の多くの僕の仲間は盗賊になっちゃったり、自害しちゃったりしましたけど・・・。でも僕はそんなときに大助さんと出会って僕を非公式に雇ってくれました。僕は今の将軍様とは敵対する勢力にいましたからね。公にすることはまずかったのでしょう。信じてくれますか?」
皐の問いかけに茜は俯き考え込んだ。確かに筋は通っていそうだ。残念ながら大助が生きていない限り、皐の話が本当だと証明するのは難しいだろう。だが少なくとも茜は今までこの皐と行動を共にしてきて、むかつく奴ではあるが、悪い奴ではないことはなんとなくわかっていた。
「それを証明するためにも、烏天狗を捕まえなきゃね。まだあんたを100%信用した訳じゃないけど・・・これからも協力してくれる?」と茜は皐に笑いかけ、右手を差しだした。
「茜さん・・・」皐の表情はパアっと明るくなり、茜の手を両手で握りしめた。
「もちろんです!茜さん!」
虎吉も八重もその和やかな雰囲気を見て、思わず笑みがこぼれた。
「それでは誓いのちゅっちゅを!」と皐は突然また口をすぼめて茜の唇を奪いに来た。
「だからあんたは何でそうなるのよ!」と茜は左手で皐の口元を押さえつけ必死に抵抗する。
「むぐぐぐ・・・!いいひゃないでふか!ひゅっひゅひあひょう!」
「やだ!やっぱあんたは信用できない!離れなさい!このお!」
せっかく和やかな雰囲気だったのに、それをぶち壊した二人に対して、虎吉と八重は冷ややかな表情を浮かべた。
「はあ・・・仲いいんだか悪いんだか・・・。」とため息をつく虎吉に、
「あんた・・・変な奴らの岡っ引きになっちゃったもんだねえ。」と八重は同情した。
二人は目の前で繰り広げられる茜と皐の争いを冷ややかな目でしばらく見ていた。
一方そのころ、虎吉から逃げ出した家守の欣二はまだ同心達には捕まっておらず、路地裏の物陰に隠れていた。
「はあ・・・はあ・・・くそっ!亀松の奴!しくじりやがって!まずいな・・・この時間、木戸はしまっているし・・・街から逃げ出せねえ!夜明けまで待つしかねえか。」
街を区切る木戸には門番がおり、不審者がいれば通報されるので、欣二は夜明けまでこの区画を出ることができない。
と、その時ビュウっと風が吹き、欣二は体に妙な寒気が走った。
「うう・・・寒い・・・」
風が強くなり唸り声をあげる。夜の街に響くそれは邪魅のうめき声にも聞こえる。欣二はどうしようもない不安に襲われた。不安に震えているとまた一陣の突風が裏路地を縫うように駆け抜けていく。
「な・・・なんだ・・・?」
欣二は何かただならぬ雰囲気を感じ取っていた。そうして一歩後ろに後ずさったとき、欣二は何かを踏んでしまった。人の足のような、ごりっとした感触だった。
「ひいっ!」
自分を追って来た同心か岡っ引きだと思い、慌てて振り向いた。だがそこにいたのは、黒い着物に黒い袴、それに顔を黒い烏天狗の面で隠した男だっだ。
「お・・・お前は・・・か・・・亀松か・・・?亀松なんだな・・・?」
欣二は今まで隠れていた亀松が出てきたのだと思った。だが男は何も答えない。
「か・・・亀松!お・・・おまえのせいでとんでもねえことになってんだぞ!」
それでも男は何も答えない。微動だにせず不気味な様相で欣二を睨み据えていた。よく見たらこの男の服は欣二が用意した烏天狗の衣装と少し違うし、仮面も少しデザインが違っていた。それに・・・腰帯には脇差しではなく、長い刀が差さっていた。
「ま・・・まさか・・・本・・・物・・・烏・・・天狗・・・?」
そう思った瞬間、欣二は腰が抜けそうになったが、力を振り絞って逃げようとした。がそれも虚しく、すばやく刀を抜いた烏天狗は、そのまま勢い良く刀を振り下ろしズバリと欣二の体を真っ二つにした。
勢い良く噴き出す鮮血を全身に浴び、烏天狗は既に息絶えた欣二を見下ろす。
そこへ後ろから烏天狗に近づく影があった。
「ご苦労だった、次郎。」
後ろから近づいて来た者は烏天狗に言う。
烏天狗は面を取り、振り向き見せた顔は紛れもなく、同心・黒田の手下である岡っ引き・次郎であった。そして後ろから声をかけて来た人物こそ、あご髭を蓄えた茜の先輩同心・黒田であった。
黒田は真っ二つになった欣二の死体に近寄り、懐から黒い烏の羽を取り出し、それを死体に振りかけて言う。
「おまえのような輩に烏天狗のイメージを下げられちゃあ困るんだよ。」
怪しげな笑みを黒田は浮かべる。
「くくく、女同心に忍者同心、か。面白くなって来たな。」
「始末しますか?」
次郎はたった今人を斬り殺したとは思えないような、爽やかな笑顔を黒田に見せた。
「いや、そう急くことはないだろう。次郎、奴らの動向をしばらく見張っていろ。」
そう言うと黒田は次郎とともにすばやくその場を後にした。