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2020年の終わりに

今となってはほぼ休止状態になっているこのnoteのアカウント。でも、あらゆる面で激動の2020年を文章に残さずに、年が明けてしまうのはなんだか惜しい。そう思って記事を書き始めています。


1月〜3月はまだ平和な時期でしたね。卒業論文がひと段落して、単位も無事取得しきって卒業が決まり、何をするでもないモラトリアムが少しだけありました。どこに行くわけでもない中で、行っていない地域に行きたくなって、バイト代をはたいて草津や仙台に一人旅へ。誰も自分のことを知らない場所で一人でいることの心地良さって、一体なんなんでしょうね。去年は白川郷にも行きましたし、もうひとり旅は慣れたものです。性に合っているのかもしれません。

あ、そういえば、渡航制限がかかるギリギリ直前に、台湾へ家族旅行に行けたのは幸運でしたね。今となってはもう簡単に行くことはできなくなってしまいました。渡航制限が明けたら、もう1回行きたいです。まだ行けていない地域がたくさんあるんです。

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旅行だけでなく、私的な出来事もありました。何より嬉しかったのは、Diverse System様の『works.after』の公募で合格を頂いたこと。ずっと憧れていた舞台に、片手だけでも届いたのかなと思っています。とてもとても個人的なことですが、「大学生の間に、何かの形で曲をリリースすること」は、4年間、ずっと置き去りにしてきた宿題でした。それがギリギリのタイミングで叶ったことは何より嬉しくて、同時に一つ区切りがつきました。

この曲の次に何もリリースできていないのはとても申し訳ないです。ただ、自分にとってはこれも一つの卒業論文のようなものでした。これからは気が向いたら曲を作る、くらいにマイペースに活動していきたいですね。

あとは、ゼミの友達とディズニーに行ったり、沼津へ旅行に行ったりしたりしたこと。楽しかったな。キラキラの大学生活は自分とは無縁でしたが、それでも、少しだけ、友達と言える人と出会えたのはとても幸運でした。今何してるのかな。元気なのだろうか。このnote見てるなら年明けにでも話しましょう。連絡ちょうだい。

そして引っ越して一人暮らしが始まりました。色々大変だよ、とかよく言われますが、あんまりその苦しみは感じることなく、今まで生き長らえています。ほぼ理想通りの家にできて、片付けもそこそこ綺麗にできていて(友達を家に呼んだら「生活感がない」と言われました。褒めてるのか…?)、音も響かない。狭くて家賃も高いですけど、住環境だけは良い感じです。

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そして4月から5月。新入社員として入社するとともに、東京はロックダウン。研修も何もかもがリモートになって、誰も正解がわからない日々が始まりました。なんのために会社の近くに引っ越してきたのかがわからないなーとか思いながら、研修をふらふら進めます。この時はまだまだ余裕もあって、1日にやるべきことも決まっていました。あまりに企画のアイデアが出なくて風呂を沸かしたり、近所のピザ屋に通いまくったりもしていましたが、まあ平穏でしたね。この期間は特に書くこともあまりありません。とにかくやるべきことに必死だったんです。

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そして6月。配属が決まって何週間か経って、「言葉の知らない国に来てしまった」と感じました。これは今でも思っていますけどね。間違ってはいけない、必死に頑張らないといけない、貢献しないといけない、ここで頑張らないとなんのために引っ越したのかわからない、でも周りが何を言っているのかわからない…とか、色々なことを思っていました。そしてそのタイミングで、祖母が逝去。

そんなことが重なったら、最後には家の鍵を閉め忘れて、マンションから飛び降りそうになるまでに追い詰められてしまいました。会社に行こうとしても足がガクガクと震えてしまう。言葉がうまく出てこない。パソコンの前で手が全く動かなくなる、気づいたら涙を流している‥。とても典型的なパターンですね。病みに病んでいました。ずっと後に当時受けた検査の結果を貰ったら、まあ完全な鬱。そりゃそうだ。結局家族に「文字通り」泣きついて、人生を考える時期が始まっていくわけです。

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その時に連絡をくれた友達への恩は忘れません。Twitterを見て連絡をくれたり。気を使って贈り物を送ってくれたり、飲み会みたいな感じで話す場を設けてくれたり。本当にありがとう。いろんな人に声をかけて、快く話に応じてくれたのも嬉しかったです。素敵な人に支えられているなあ、と、こうして振り返っていると思いますね。


7月以降の記憶はあまりありません。親や友達の協力もあって、精神的には小康状態は続いていましたが、幅広くそれらしい業務をするだけの日々が続いていました。何かスキルが身につくとか、積極的に何かアクションを起こすとか、そういうことは何もありませんでした。毎日noteも更新していましたが、内容はほとんど同じだったんじゃないでしょうか。温泉とラーメンとハンバーガーとハマスタくらいかな。あとは美術館にも行っていましたね。何か素晴らしいものを見たかったんです。素晴らしい芸術は、後世にも残るんだ、と勇気を貰いに。

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父親の仕事の気分転換がてらに、ちょくちょく旅行にも連れて行ってもらいました。熱海と松山。もちろん、コロナが広まっていない時期ですよ。どちらも楽しい街でしたが、特に松山は印象的でしたね。四国の安定した気候の中に、俳句や文芸の文化が根付いている。山も海も道後温泉もあって自然が豊か。老後に暮らすにはぴったりです。再来年だかのオールスターゲームは松山坊ちゃんスタジアムらしいので、その時期にもう1回行きたいな。

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時は流れて12月。あるきっかけがあって鬱状態が再発します。日記の毎日投稿すらできなくなり、Twitterには不安定な発言ばかりをする毎日。見苦しいものを見せてしまって申し訳ないなと思いつつ、そうしていないと生きていけなかったんです。ごめんなさい。

今は、会社や上司、病院、カウンセラーと相談を重ねています。「今の部署のまま仕事をしていても、メンタルが好転することはない」ことだけは確かだと認識して、部署転換や転職を視野に行動し始めました。そうしていたら、今年の年末年始は、エントリーシートと服薬に終われるようになってしまいました。

でも年末特番は面白いし、紅白の初出場組は見ていて楽しい。Vtuberを追っかけるのも楽しいですね。でもお先は真っ暗です。

話は横道に逸れますが、今の自分の中には生きる理由がありません。自分の外には、親や祖父母や友達に迷惑をかけたり悲しませたりするとか、いろんなエンタメの続きを見たいとか、そんな理由があるから死ねませんけどね。
例えるなら、平日に短距離走を必死に走りきって、土日に休みきれずにまた翌週を迎える、みたいな感じ。生きれば生きるほど辛いので、当然の帰結として、今この瞬間が幸せの絶頂なんです。損切りするなら今なのに、そこで死なずに、死ねずにダラダラと生きています。よく「自分本位に生きましょう」みたいな言説を見かけますが、それを実践すると命を断つのが最適解。本当に自分が熱量をかけられるものが現れるのか、それとも別の何かが生きる理由になるのか。それがないと2021年は生きていけなさそうですね。

余談を終えて、総括としましょう。

立場も環境も変わりましたが、一番は精神の不安定さに苦しめられた1年間でしたね。感染拡大の影響はそれほど受けていなかったんですが、それ以外の要因でメンタルがダメになってしまいました。反省するとすれば、就活の時の自己分析の浅さ。もうちょっと人生経験があって、もうちょっと深くまで自分の得意を突き詰めていたら、今みたいな状態にはなっていなかったのかもしれません。

でも、やってみないとわからないことだって当然ありますよね。今のこの状態は苦しいですが、遠回りだとは思っていない自分もいます。これは必要な痛みだったんだと思いたいですね。うん、「思いたい」。客観的に自分を見る余裕なんて今はありませんが、10年後に今を振り返って、必要な痛みだったんだって思えたら、こんな1年にも何か意味があったことになるのかもしれません。

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来年の抱負ってなんでしょうね。環境を変えて、精神を安定させること。死なないこと。生きていくこと。あ、あとパートナーを見つけること。どんな形になるのかわからないですけど、幸せになること。ぼんやりとしたことしか書けない人間になってしまいましたが、ただ、生きていることに罪悪感を感じないようになっていたいなと思います。来年はきっと良い年になるかな。

そして最後に友達に謝辞を。素直に書いておかないと、いつ伝えられなくなるかなんて分かりませんからね。

メンタルに苦しんでいる時、心配してくれて、本当に助けられています。良い友達のおかげで今日も生きていけます。ありがとう。2021年も、よろしくお願いします。


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