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記号化に対するアンチテーゼ:『ストーリー・ストーリー』の感想

『ストーリー・ストーリー』という物語は、記号化に対するアンチテーゼであると言い切ってしまいたい。テレビの恣意的な切り取りや、どこかで見たことのあるアニメやゲームのキャラクターが溢れかえっている2020年に、『アイドルマスターシャイニーカラーズ』、通称『シャニマス』のイベント内で実装された『ストーリー・ストーリー』は、記号化された表現に対して真っ向から立ち向かっている。しかも、アイドルゲームという枠組みの中で、だ。この構造の凄さと、記号化された表現の歴史についての私見を、自分の視点から書き残しておきたい。

記号化:主に漫画やアニメに於ける表現技法の1つで、極端なデフォルメや省略によって表現する技法。
ピクシブ百科事典より引用

そもそも記号化という表現手法は、人物の魅力を分かりやすく伝えるために使われていた。人間が元来持っている人格の中の一つの側面を強調し、単純化することによって、相手が理解しやすい形で提供する。例えば、「ツンデレ」の代表格として挙げられる御坂美琴(『とある魔術の禁書目録』シリーズ)は、同時に正義感や繊細さも抱えている人物だ。作中に登場する彼女は確固とした人格を持っており、場面によって様々な顔を見せる。一言で説明し切れない、”分かりにくさ”を持っている人物だ。しかし、御坂美琴が紹介されるときには、「ツンデレ」という点に注目されがちである。それ自体は何ら問題ではない。複雑な人格の一面を強調し、ラベリングして”分かりやすく”することは、人物の魅力を簡潔に伝えるのに有効な手段だ。

ただ、いつしか記号化は、手段から目的にすり替わってはいなかっただろうか。SNSの普及や、アニメの数の増加、ソーシャルゲームの大流行は、生み出されるキャラクターの爆発的な増加をもたらした。市場は飽和し、流行の移り変わりも高速化していった。ある日流行った物事が、その翌日には忘れられていることも珍しくない。

こうした時代の変化に対応して、文脈の理解に時間がかかる”分かりにくい”キャラクターではなく、すぐに魅力が伝わる”分かりやすい”キャラクターが作り出されるようになった。いくつかの「属性」を組み合わせたような所作で、どこかで見たことのあるような台詞回しをする、中身が空虚なキャラクター達。記号化された表現は、人物の魅力を分かりやすく表現するためではなく、分かりやすいキャラクターを生み出すためのものになっていった。

そして次第に、要素の寄せ集めのようなキャラクターの造形はスタンダードとなり、視聴者の側も都合良く物語を消費するのに慣れてしまった。味のしないガムが供給され続けるようなものだ。タイトルは出さないが、出来の悪い人形遊びのような作品は、正直、世の中に溢れかえっている。そんな大量生産・大量消費の世の中で、多くのプレイヤー達を釘付けにした”あるキャラクター”が、こんな台詞を残していたのが風刺的だ。(*1)

「ずっと気になってたことがあるんだけど……」
「典型的なキャラクターの性格のどこがそんなに魅力的なのかしらね?」
「どの性格も全く現実味がないのに……」
(中略)
「本当に人はあんな現実ではあり得ないような性格に惹かれるの?」
(中略)
「キャラクターに人間味を与える特徴を全部吸い出して、かわいいものだけを残してるみたいじゃない」
「それって中身のない可愛さが凝縮されたようなものよね」


『ストーリー・ストーリー』は、この潮流に真っ向から挑戦したストーリーだ。テラスハウスのようなリアリティショーの撮影に臨む、アイドルユニット「アンティーカ」の5人。大人の事情によって打ち切りの危機に陥る中で、何とかメンバーはバラエティ的な見せ場を作ろうとするも、空回りに終わってしまう。さらに、”分かりやすい”展開を作ろうとするテレビの思惑によって、彼女たちの日常は文脈を無視して切り取られ、醜悪的に記号化されたキャラクターとして放送される。これを受けたメンバーがどう行動するのかが、物語の主軸になっている。

要するに、「アイドル達が、現実を捻じ曲げられて記号化された表現に傷つき、それと戦う物語」なのだ。そして、この物語が、アイドルマスターというゲームの中のアイドルによって紡がれているというメタ構造の妙がある。ポイントは、メタ的な台詞は使わずに、メタ構造を表現していることだ。画面内のアイドルたちがプレイヤーに直接語り掛けてくることはないが、『ストーリー・ストーリー』の中で描かれているテレビマンの、”分かりやすさ”をアイドルに求める視線は、プレイヤー達がアイドルに対する視線の暗喩になっている。同時に、作中のアイドルたちのリアルさを求める行動は、キャラクター達の記号化を嫌っているであろう、『シャニマス』の運営の姿勢とも重なっている。メッセージの位置するレイヤーが、他のゲームと比べて一段高く、複雑なのだ。

この物語の結末は伏せておくが、最後に語られた一つの台詞に、『ストーリー・ストーリー』の全ては集約される。この言葉を発するのは、”物語性を持つもの”に対して「さん」を付ける口調が印象的な、幽谷霧子というアイドルだ。”物語”に対する感度が人一倍高い彼女が語る言葉は、物語を爽やかに締めくくる台詞でありながら、”分かりやすい”物語を求めるプレイヤーをハッとさせるメッセージでもあり、さらに『シャニマス』からの、今のエンタメ業界における物語の作り方に対する叱咤激励としても受け取れる。


『シャニマス』は2周年を迎え、今まで数多くの物語が提供されてきた。その中で一貫しているのは、一人一人の”分かりにくさ”を描き切る姿勢だ。『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』が"『ゼルダ』のアタリマエを見直す”をキーワードにしていたように、『シャニマス』は今までのアイドルゲームのアタリマエを見直し、あえて記号化した表現を用いず、アイドルのありのままの姿を数多く描写している。それは、アイドルの魅力は、人柄の色々な側面が複雑に融合したものであるという考えの上で、時間をかけて様々な「ありのまま」を描くことに注力しているからではないだろうか。

そして、徐々にキャラクターを紹介する段階から、キャラクターを深掘りしていく段階に移行している。この変化は怖いことでもある(*2)が、今まで『シャニマス』を追い続けてきたユーザーにとってのご褒美でもある。非常に評判の良かった前前作『薄桃色にこんがらがって』も、『ストーリー・ストーリー』と同様に”分かりづらい”物語だった。文字通り「次元が違う」物語ばかりの『シャニマス』。飽和化・画一化が進みつつあるエンタメ業界にパラダイムシフトを起こすのは、このゲームになるのかもしれない。


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(*1)ネタバレ防止のため、キャラクター名は伏せています。

(*2)物語の複雑化は新規ユーザーの参入ハードルを上げ、コンテンツの先細りを招くため。

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