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あなたには、何か継続しているものは無いだろうか。 仕事、趣味、ダイエット どんな種類のものでも良い。 それらを初めた時のことを思い出してほしい。 どんな気持ちだったか。 「うまくやっていけるかな」 「言われた通りにできるかな」 「きちんと続けられるかな」 きっと不安があって、緊張していたのではないだろうか? 動作は慎重になり、目の前のことに精一杯。 どんなに単純で簡単な手順でも大切にしている。 不安以外には、希望もなかっただろうか。 「社会に貢献したい」 「プロ
「勝てば幸せになれる」 そう思い込んで生きてきた。 受験、就活、出世競争 物心ついたときからずっと、 誰かと争い、勝つことを目指していた。 でも、僕は知らなかった。 誰かに勝っても、幸せになれないことを。 むしろ、その言葉が自分自身を苦しめていたことを。 オランダ生活が無ければ、一生気づかなかっただろう。 勝利への承認 はじまりは幼稚園。 僕のクラスでは、ポケモンが流行っていた。 ひとりのクラスメイトが、ポケモンの絵を描いて持ってきた。 「絵を見せて」と彼の
「今年は~な年でした」 「新年は~な1年にしたい」 大晦日から正月にかけて、こんな言葉がよく目に入る。 それらを見たときに、ふと思った。 「何で、同じ時間に、少なくない人が同じような行動をするのだろう?」 「それぞれの人に流れている時間は違うはずなのに」 出てきた答えは「わかりやすいから」だった。 人は何かを測るために数字と単位(=基準)を発明した。 長さ、重さ、個数、金額、 「時間」もこれに当てはまる。 太陽の見える位置が1周するまでを「1日」 季節が1周するまで