「アイデンティティのつくり方」 考察① -定義-
転勤族として育った私にとって「アイデンティティ」という概念はとても身近な言葉だったはずなのに、今の自分が果たして何者なのか正直分からない。社会人2年目の25歳。働き始めてからは特に迷走している。
「何者かになりたい」という想いは着実に高まる一方で、肝心な何になりたいかが見出せず不安に陥る。
大きい組織で仕事をしていると、同期や先輩と比較して自信をなくし、最終的には「何者にもなれないのではないか」という結論に向かってしまう。
そんな時この本に出会い、ヒントをもらい、未来がほんの少しだけ明るく見えた。自己啓発・ビジネス本というよりかは、シンプルに前に進む勇気をくれた本。内容をまとめるとともに、自分の考えを少し整理してみようと想う。
「アイデンティティ」の定義
細かい話に入る前に、先ずは「アイデンティティ」の意味について。
前提として重要なのは、アイデンティティ=肩書きではないということ。
女性であり・日本人であり・長女であること、●●大学の卒業生であること、●●会社で営業をしているということ、自分を表す情報ではあるが、貼ったり外したりできるラベルのようなもの。
肩書きとアイデンティティが無関係かというとそうではないと私は思う。肩書きは人々の経験や価値観を大きく形づくるものでもあり、アイデンティティを模索する上で入口・ヒントになることは多いはず。女性として、日本人として、XXの社員という道筋があったからこそ、今の自分がある。
ただ、本質的にはこれらの肩書き(ラベル)を全て取り払った時、最終的に自分の中に残るもの・残したいものは何なのかが真のアイデンティティなのかもしれない。
何だか分かりにくい表現だが、キーワードは「自分の物差し」と「胸を張れる」。今の自分や目指す未来に、胸を張れるか・誇りに思えるかどうか。英語でいうなら"be proud"。
私の場合、キャリア、家族・恋人・友人との関係性、人生におけるあらゆる決断をする上でこの問いは考えることが多かったのでアイデンティティの模索は既に始まっていたよう・・
・この会社に属すること・日々励んでいる仕事を誇りに思えるか。
・胸を張って父・母の娘、妹の姉、祖父母の孫、パートナーの彼女、XXちゃんの親友と言える存在であるかどうか。
・今日下した決断(大小問わず)は正しかったかと胸を張れるかどうか。
どういう状態が自分にとって胸を張れる状態かは自身の価値観や倫理観と紐付けられるので人それぞれ。だからこそ「自分の物差し」が何なのかを理解することが重要。
自分が担いたい/担うべきと考える責任や役割は異なる。他者との共存から逃れられないこの世界で、他人や社会全体にとってどういう存在であることが「誇り」という感情に繋がるのかを追求することがアイデンティティ探しなんだと思う。
私のアイデンティティについて
たたき打ちにはなるが、自分が胸を張れる意思決定の産物を書いてみようと思う。
身近な人にとって、頼りたいと思える存在でいること
他人との関係性は時間をかけて育むこと
他者に不利益を被る理不尽な行動や決断はしないこと
「さようなら」が悲しいと最後思えるよう、全力で人や場所と向き合うこと。
努力の積み重ねで目標を達成すること。(つまり、効率性を求めたり近道を探す、楽をして生きるという考え方が性に合わない&ノウハウがない)
アイデンティティを見出す難しさ
そもそもなぜアイデンティティを見つけるのがこんなにも難しいのか、大きく下記3点の論点が上げられている。
①外的要因「何となくの不安」
②内的要因「やりたいことがない」
③社会的要因「社会のレールから外れる恐怖」
次回はそれぞれを今の自分と照らし合わせて深ぼってみようと思う。