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大叔父の幻覚


 私の大叔父は変わった人でした。私が認知症の介護をした大叔母の夫です。元気な頃は、模型飛行機を作って河原で飛ばしたりしていました。カメラ販売店の店主でしたが、カメラを売ることよりも、改造したり、奇妙な写真を撮って面白がったりする人でした。私が子どもの頃、子ども相手とは思えないような真剣な冗談を言ったりして、驚かせてくれたものです。高齢者になっても最新の音楽に興味を持っていました。私とは血縁関係にはありませんが、「親戚の中で誰が私に一番似ている?」と問われれば、この人です。
 84歳で他界しましたが、それまで何度も倒れて、入退院を繰り返していました。当時、私は大阪に住んでおり、「いよいよ危ない」との知らせを受けて、何回か名古屋の病院に駆けつけたものです。
 その時、大叔父が病院のベッドで奇妙なことを言ったことがあります。
「幻覚が見えた」
 それは大変です。私は心配しました。ところが大叔父は大喜びなのです。
「こんなおもしろい物はない。タダで映画が見られるようなものだ」
さらに治療してくれている医師や看護師に対する不平を言っているのです。
「『幻覚が見える』と言ったら、薬をうたれた。そしたら見えなくなって、おもしろくない。余計なことをしてくれた」
どう返事していいのか戸惑っている私に、大叔父はこう続けました。
「周ちゃん、秘密が守れるか?」
死の床にあるかも知れない親戚にこう言われたら、「はい」としか答えられません。大叔父は続けました。
「実はまだ少し見えるんだ」
大叔父は病室の隅にあったロッカーを指さし、
「あそこに駅のホームが見える」
 病室を出て、私は悩みました。大叔父が幻覚を見ていることを、医師や看護師に報告すべきだろうか? しかしそうすると、もっと薬をうたれるかも知れない。せっかく楽しんでみているのなら、見せてあげた方がいいのではないか? しかし、適切な治療に繋がるなら、大叔父との約束は反故にして、報告すべきでは?
 結局、私はその事を誰にも言いませんでした。
 数週間後、大叔父は退院しました。退院時に幻覚が見えていたかどうかは知りません。
 数年後、ついに帰らぬ人となりました。
葬式後、火葬場に向かう車の中で、初めて幻覚の話を親戚にしました。
私は大叔父との約束を守ったのです。
死の前に、楽しい幻覚が見えるのだったら嬉しいですね。もしかしたら、それは天国の予告編なのかも知れません。
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イラスト by freehand

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