子供が生まれたら綾波の言葉が理解できた
先日子供が生まれました。
第一子、女の子です。
妻の大きくなっていくお腹を見ながら、漠然と親になるのかなと思っていましたが、実際に生まれてきた我が子を見ると何故か思わずうるっと来てしまいました。
コロナ渦のためお産の立ち会いは出来ず、我が子と初めて対面したのは生後6日目、妻と子供が退院する日でした。
そして妻の実家で子供の世話をしている時に、突然綾波のあるセリフが頭をよぎりました。
シンエヴァのワンシーンのセリフです。
どのシーンのセリフか分かる人はいるでしょうか。
このセリフは、アスカが言ったセリフへの返答です。
これに対して、「そう。でもいい。よかったと感じるから」と綾波は言ったんですね。
そして、おむつを変え、ミルクを飲ませ、ご機嫌になった我が子を見ながら、ふとこの綾波のセリフに共感している自分がいました。
はあ?なんのこっちゃと思われると思うので、順を追って説明します。
子供の世話はとても大変です。
数時間おきにミルクをあげないといけないし、おむつも頻繁に変えないといけない。
哺乳瓶はしっかり消毒した上で一旦熱湯で作ったミルクを人肌に冷ましてから飲ませないといけない。
急に具合が悪くなったり窒息したりという危険があるので、片時も目を離してはいけない。
これを世の中の親が全員やっているのかと思うと、哺乳類というのはとんでもない道を選んで進化したなと思わずにはいられません。
自分を育ててくれた親も、更にその親も、更にその親も。
今より医療が発達していない時代の親も、インターネットなど存在しない時代の親も。
みんなこんな大変なこと、あるいはそれ以上の苦労をしながら子育てをしてきたのかと。
それと同時に、こんな感情も自分の中にはありました。
この子はなんて可愛いんだろうと。
子育ての大変さを帳消しにした上で楽しさに変換してくれるだけの "何か" があることを感じました。
そしてそれは小さい頃から何度か感じたことのある感覚でした。
子供の頃、亀を飼っていました。
自由研究でカブトムシを捕まえて飼育しました。
ひまわりを種から育てて、毎日観察日記をつけました。
それらは自分が "飼育する" という行動を経験したものたちであり、自分の行動次第で生き死にすら左右されるという体験でした。
ぱっと思い出せるこれら以外にも、今まで色々飼ってきました。たまごっちとかも一応広義では飼育に入りますかね。
そして生き物を飼うということはどこか楽しい経験でした。
自分が餌をやり、水をやり、面倒くさい工程を踏みながらも大きくなっていく様子を観察する。
花が咲けば嬉しいけど、本来面倒くさく大変なはずの世話をするという行動、成果に結びつくまでの過程も "楽しい" と感じる体験でした。
子供のおむつを変えながら思いました。
これまでの飼育という体験は、子育てをするための練習だったんだなと。
亀が死んでも、少しは悲しいですが1年も立ったら忘れるでしょう。
ひまわりが枯れても、あー失敗しちゃったなあくらいにか思いません。
たまごっちなんて、お墓になっていたらリセットして終わりです。
でも、自分のミスのせいで我が子が命を落としたらと思うと。
自分がその時どうなってしまうのかすら想像出来ません。
命に責任を持ってそれを育てる "飼育" という行為は、絶対にミスをしてはいけない自分の子供を育てるという場面でミスをしないためのものだったのだなあと感じました。
生き物を飼うのは子育ての練習だったのです。
それと同時に、でもその行為は楽しいと感じるから自然と出来るんだろうなとも思いました。
小さい頃、理性もよく働いていないクソガキだった自分も、責任を持って何かを育てるということにワクワクました。
500円玉くらいの大きさの亀を買い与えられて、これは今日からお前が育てるんだと言われたとき、その亀の大きくなっていく姿を想像して楽しくなりました。
餌をやると元気に食べている様子を見て、デカくなれよーと毎日餌をやりました。
何かの世話をする、飼育するという行為は、誰に何を言われなくても楽しい行為なのです。少なくとも自分はそう感じます。
つまり、人間というのは遺伝子レベルでそうなっているんじゃないかと思います。
生まれたばかりのわが子、世話をしていると自分の睡眠時間もまともに取れない。
抱っこしていると腕が痛くなるし、おむつを変えようとすると暴れるし、変えたおむつは臭いし。
客観的に見ると、なんでこんな大変なこと出来るの?毎日続けられるの?と言われるかもしれません。
でも、楽しいんです。
楽しいと感じるんです。
そして、"それでいい" と思えるんです。
子育てを楽しいと思える方が、子孫が生き残る可能性が圧倒的に高いです。
当たり前ですよね。楽しいと思って接する方が、子供のことを大事にできます。
逆に子育てを楽しくないと感じる親だったら、そうでない親より子供の生存確率は下がります。
子育てを楽しいと感じる親のほうが子供の数も多くなりそうです。
子育てを楽しいと感じる遺伝子は生存戦略の観点からかなり有利なのです。
つまり我々はそういう風に進化してきたと言い換えられます。
綾波は、第三の少年-碇シンジに好意を持つように調整されています。
それは遺伝子組み換えのような先天的なものなのか、あるいは洗脳や脳神経の書き換えのような後天的なものなのか。
いずれにせよ自分の意志とは関係ないところで感情を制御されています。
そしてそれをよかったと感じていると言います。
綾波と自分のケースは違うかもしれませんが、自分の意志の介在しないところで感情を制御されているという点は共通なのではないでしょうか。
そして、その感情がプラスの感情、他者への好意という点でも共通しています。
涼宮ハルヒに言わせれば精神病の一種である恋愛感情も、自分にとっては好ましいものであると感じています。
ヒトは、自分では制御できない他者への好意が発生した際に、それがどういったものであれ、"よかった" と感じてしまうのかもしれないなあと思いました。