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11月20日(水) 久しぶりのODを振り返って

結局夜は寝なかった。5時から寝て、昼夜逆転する方が怖いから、朝からすすきののカラオケに行っていた。始発の電車は満席だった。明け方とは思えない疲れが、車内を漂っており、不思議な空間だった。

コーヒーで眠気をこらえながら、朝カラオケはやり通した。音のある空間は安心するけど、オールだからか、テンションがおかしかった。頭がきちんと働いていないからだろうか、最後に歌った1曲、フロリジナルで90点を超えなかったらODするという謎の賭けをして負けた。普段は90点出るのに、今日は出なかった。

いつもは、ODしたくなったら、訪看なり病棟なりに電話して踏み切ったけど、今日はそんな気にもなれなくて、薬局でブロン84を買い、そのまま学校で授業を受けた。強いて言うなら、高校の頃の元担任に、ラインをしたかな。でも、すぐに返事は難しかったのか、”難しいね”としか返ってこなかった。2限はくそ眠かったけど、エナジードリンクで耐えた。エナドリの栓を開ける時、結構な音が鳴ったのが恥ずかしかった。

お昼ご飯も食べずに、保健センターに向かった。実は今日、病院の診察があるから、その時に陽性反応が出ればいいなって思って、時間を計算して、保健センターでODした。そして、話しやすい看護師さんに、ODしたって言った。あの看護師さんなら、私の欲しい言葉をくれると思って。でも、体のことにしか触れられなかった。下手に介入するのはまずいと思ったようだ。私が、「どうして自分を大切にできるんですか」と聞くと「看護師さんも昔は分からなかった。でも、大切なものが出来て、自分を大切にできるようになった。それを探すのに時間も体力もいるかもしれないけどね。」と言われた。次の授業に行こうとしたら、入り口で知らない人に止められた。ふらふらだったから。でも、演技ですので大丈夫なんだけど…その人が止めたせいで、人がどんどん集まっちゃったけど、強い意志で授業に向かった。知らない人の、「授業は、休めるから授業なんだよ」って言葉が、頭から離れなかった。

3限の授業に行った。動悸、心拍数の増加→頭が締め付けられる(30分経過)→手の震え、口喝(40分)→手汗、発汗(50分)→不整脈(1時間)→火照り、耳鳴り(ピーって音)、聞こえづらさ、胸痛(70分)→顎関節の痛み(80分)。授業中に、観察してた。いつも寝る前にODするから、昼間のODがどんなものか、研究してた。授業は無事受けきれた。今日の授業は表面的だったな…。面白かったけど。

自転車で病院まで向かった。PSWさんから障害者年金の話をしてもらった。腕の振盪が凄くて、一旦落ち着こうって言われた。ODだから、時間あけても意味ないよって伝えた。すぐに医師に伝わった。今日はあいつは休みで、代打の先生。診察中に過呼吸になっちゃって、外来のベッドに運ばれた。息苦しさと共に、謎に「あー」とか「あわわわ」とか声が出て、止まらなかった。

徐々に落ち着いたころ、カウンセラーさんが来た。今日は体を休めないとだから休みだって。私は言った。「なんでみんな先延ばしにするの?今は寝なさいとか、今日は休みなさいとか…私はこれからどうすればいいのか分からなくて、今答えを教えて欲しいのに、その場しのぎの言葉しか返ってこない。ねえ、どうして先延ばしにするの?答えてよ。」「先延ばしにしてるように思うの?そっか。でも翠さん、今は体が大事だでな、ゆっくり休まないと。」心理士さんの、たまに出る方言が、まるで幼い子に言い聞かせてるようで、落ち着くんだ。私は、子ども返りして、「行かないで、また会ってね」と甘えた。苦しくて悲しくて涙が出た。ODしたら、消えてた感情が出てきて、泣けるんだな。

息切れのしんどさが落ち着くと、幸せな気分になった。パイプオルガンのパイプが足元に並んでて、淡いピンクで光ってる。その上に私は立ってて、楽しかった。体は歩くとフワフワしてて、横になってると、全身を温かさが包み込んでくれる。温かくて、幸せな時間は、突然終わりを迎えた。パイプが石造化して、どんどんハンマーで砕かれていったのだ。要は、現実に戻る準備が始まった。多幸感は消え去った。温かさは残っていたから、そこに浸っていた。

途中途中で先生が来て、どうするか聞いてきた。へろってる私は、「帰ってODして、この温かさに包まれたい」としか答えなかった。「そんなこと言われたら、悲しいな」先生は言い去ってった。

ジャッジメントの時間が来た。歩けなかったら入院、歩けたら帰れる。帰りたくない自分が、体を解離させてたのと、ふわふわ感で脱力してたせいで、体に上手く力が入らなかったが、気持ち次第で普通に帰れることは分かっていた。だから、時間をかけて、ゆっくり帰ってった。亀よりものろまだったと思う。のろまは、自転車に乗って家まで帰った。

家に帰って、訪問看護に電話した。担当の訪看ではなかった。私のテンションはいつもより高かった。だから、このテンションで、言いたいこと全部言ってやった。言葉なんて、いくらでも並べられる。だから、行動が全てなんだ。私は、こんなことがあっても、明日訪看は急遽入ることなく、訪問回数も変わらない価値の人間。それが全て。事実が私の価値を決めるんだ。訪看さんが忙しいから、前の訪看との引継ぎ中だから、そんな言い訳は聞いてない。一度訪問看護の回数増加を断られたら、もうそこで終わりなんだよ。あとから、やっぱり増やすって言ったって、それは遠慮とかでしかなくて、本心ではない。最初の行動で、私の価値は私が決めちゃうの。

私がなんでODしたかずっと考えてたの。最後の一刺しは、貴方の言葉だったんだよ。「昼夜逆転が怖い」って相談したら、「”誰でも”そんな日はある。」って。私の辛さは、世間と比較されて、一色単に片付けられた。それが嫌だった。私はね、比較されることが大っ嫌いなの。それってさ、誰かを持ち上げて、私はマシだから大丈夫って言ってるようなもので。持ち上げられた人には失礼で、私は自分の辛さや価値を軽く見られたって感じる。今回の言葉で私は、”誰も私のことなんて理解してくれない”だからODして、辛さを理解してほしい。”分かってよ”っていうSOSだったんだと思う。今回の言葉は最後の一手で、色々な積み重ねもあると思うけど、助けてと、訪看を増やしてと、本音を言えなかった私の負けだ。

そして、入院したかった。休みたかったし、甘えたかったし、構ってほしかった。入院したら、辛いの証明になって、訪看も周りの態度も変わると思った。だから、”家帰ったらODする”とか、歩けないふりとかして、先生から、”これなら入院するしかないですね”って言葉を待ってた。でも、入院したら、主治医に今の生活を握りつぶされるから、その恐怖で帰ってきた。偉かったな、私。

今回のことは訪看にも伝わってて、だから、何か変わると思ったけど、何も変わらなかった。むしろ傷ついた(笑)。「心配してるって言いながら、訪問回数が増えない程度の価値の人間で、他の利用者さんと優先順位つけてるから仕方ないもんね」って言った。比較されることが嫌いな私が、皮肉にも、一番自分を比較して、自分の価値を貶めていた。そして、比較した今の現状を、ずっと気にしていた。「どの利用者さんも同じように心配していて、翠さんだから、ということはない」この言葉で傷ついた。比較が嫌いならこの言葉は嬉しいはず…まず、自分が比較した現状を気にしていることから、目を背けていたからだと思う。だから、わざわざ相手が比較級を使ってくることに、被害者意識のみを感じて、意味が分からなかったんだと思う。そして何より、自分は比較された上側に立ちたかったんだと思う。高校までは、健常者の中で生活してたから、特に高2の頃の担任とかは、明らかにエコヒイキしてくれた。それが”特別”で、私の価値だった。でも、精神の界隈に入ってから、私は下側になることが多かったように感じる。だから、”同じように”ではなくて、”特別”でないと傷ついて、自分の価値が見えなくなるんだ。


ODは、私の思ってた以上に、色々知ることができた。体への負担も、その後身に起こったことも、いい勉強とは到底思えない。だから、しばらくしないだろうけど、現実逃避の良い手段っていう、甘い味を知ってしまったかもしれない。

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