8月18日(日)事象の意味
昨日の深夜2時に就寝してから、12時間も寝て、起きたら午後2時。それでも眠くて、寝たり起きたりしながら、ドラマと映画を見て、録画の整理をして…。
ふと、メールを見たら、18祭事務局からメールが来ていた。胸が高鳴るのを気にも留めず、何も考えずに気づいたらメールを開いていた。結果は、落選だった。その時の私は、正直、全然重く受け止めてなかった。何も感じない、”無”に近かったと思う。だから、母にも軽くラインしたし、普通に映画を見始めた。母は結構私のメンタルを心配してた。
ロストケアっていう映画が、めっちゃ考えさせられるヘビーな映画だったから、その後、「夜が明けたら一番に君に会いに行く」っていう映画を見て、めっちゃ感情移入して泣いた。悲劇や病弱のヒロイン、家族のいびつさ、等がドラマや映画に垣間見えると、どうやら泣けてくるらしい。
映画を見終わって、感情が押し寄せてきた。自分の全てをさらけ出した動画が、審査を通過しなかった。もっくんには新しさが感じられなかったのかな?とか、内容が薄っぺらかったのかな?とか、題名てきとうにしすぎたかな?とか、もういっぱい考えて、いっぱい泣いて。ずっと眠かったのも、ずっと何も感じなかったのも、解離してただけ。
ひとしきり泣き終わって、Xでエゴサした。”受かった人と私の何が違ったんだろう?絶対通ると思ってたのに”、なんて思いながら。辛い入院生活を救ってくれたミセスと、運命を感じたんだ。自分の全てを乗せたんだけど、いけるって過信してた自分、恥ずかしい、なんて思いながら。生きる希望にしてしまっていた。
落ちた人多くて、私と同じように、鬱ってる人いて、安心してしまった。このまま自分が審査通過してたら、きっと、「自分は特別で、人とは違うものを持っているから、通って当然だ。落ちた人可哀想。」と思っていただろう。また一つ、自分のおごりをしり、人の痛みを知れた。
もちろん、鬱モードにはなった。自分は空っぽで、薄っぺらくて、何もない人間なんだ。他の人にはそれぞれの魅力があるのに、自分には何もない。この思いは変わらなかった。前からあった思いがより強くなったって感じ。
だけど、最終的に、18祭に応募する機会も落ちた機会にも意味がある、とも思えるようになった。北海道から、2週間連続で土日東京に飛行機で行くのは現実的ではなくて、体の負担が大きかっただろうな、とか、もしかしたら雰囲気が苦手だったかもな、とか、人の痛みがより分かるようになった、とか。この機会にも、結果にも、きっと意味があったし、あるんだ。そう思わないと、やってらんない。
もう少し気持ちが整理出来たら、きっと、意味を自分で作るステップに進むんだと思う。なんとなく。
眠たすぎたので、風呂にも入らずに、22時に寝た。早(笑)。明日は6時に起きれればいいな。いっぱい寝よ。よく頑張ったね、私。